日本一の海苔と柚子<本澤二郎の「日本の風景」(3449)
日本一の海苔と柚子<本澤二郎の「日本の風景」(3449)
<15号台風に泣く我が家の柚子の大木>
久しぶりに閑話休題といこうか。とはいえ昨日の9月28日、凡人を惑わすためのような外遊から、安倍晋三夫妻が帰国した。ニューヨークの国連演説では、ほとんど聞いてる人がいなかった。会場はいつも通りガラガラだった。また、英語使いは、地球温暖化に関係した国連での、小泉進次郎が口走った”時間厳守”を「Japan keep
time 」とやらかして、コロンビア大学と米謀略機関のCSISの語学力の正体をさらけ出した、と酷評している。
我が家はというと、15号台風で根っこをえぐられた40年モノの柚子の大木が、いまも力不足で、手が付けられないために泣いている。太い枝も、途中からねじ切れているものもある。
この我が家の柚子は、完ぺきな無農薬柚子が取柄である。不格好だが、太陽と雨水のみで成長したものだから、まさに自然が育んでくれた宝のような柚子なのだ。それが枯れるかもしれないという危機に瀕している。たくさんの柚子の実がすべて落下した。
<阿吽の呼吸か宇都宮夫妻が見舞いの高級海苔>
この自然任せの柚子を、恩師の宇都宮徳馬さんの長男・恭三夫妻に送り届けてきた。きっかけがある。
それは晋三の父・安倍晋太郎のライバルで知られた田中龍夫さんが、毎年山口県の自宅の庭でとれた夏みかんを贈ってくれた。決しておいしいものではなかったが、それでも彼の心を受け止めることができた。
この方法を学んだのだ。自然そのものの柚子を贈ることで、大恩に少しでも報おうという柚子ゆえに、目下、泣けてくるのだ。
今年も、来年も贈れない。どうしようか、小さな心を痛めた挙句、結局のところ、事情を説明するはがきを出した。
昨日の昼過ぎに、宇都宮夫妻が毎年贈ってくれる日本一の高級焼きのり(林家海苔店)が自宅に届いたのだ。激励の夫人達筆の手紙を読む前に、密封されている缶を開けて、4,5枚口にいれた。パリッと音がした。最高級の焼きのりである。阿吽の呼吸なのか、夫妻の配慮に感謝した。
日本人の食文化の香りを彷彿とさせてくれる海苔。大陸や半島のそれとは違う。ここ数年、北京滞在の際は、兄がついてくれた餅を焼いて、この林家海苔を巻き付けて食べると、もう頬がうれしくてこぼれ落ちそうになるのである。
<臼井荘一夫人が選んだ絶品だった!>
直ちに電話機のダイヤルを回した。神奈川県大和市の宇都宮夫人に、御礼の言葉を繰り返した。
筆者は若いころから、宇都宮邸での観桜会には、中国青年報の徐啓新記者と訪問したものだ。邸内には、三木武夫・鈴木善幸・河野洋平・鳩山邦夫らの政治家のほか、中国大使館からはバス一台を借り切って要人らが参加していた。
そういう次第なので、恭三夫人と会ったのはこれまで一度きり、おしゃべりするのは初めてだが、まるで旧知の間柄のように話が進んだ。そしてついに、この日本一の海苔を、恭三さんが大好きだということ、そしてこの高級海苔を見つけた人物が、夫人の母親の春江子さんであることも判明した。
宇都宮恭三夫人は、千葉・臼井家から嫁入りした。三木派に所属した臼井荘一さんが、彼女の父親である。徳馬さんも荘一さんも、共に護憲リベラル派。親同士の交流が子供の結婚にも影響するが、政界ではこのほか竹下登と金丸信も同様である。政治後継者となった日出男さんは、防衛庁長官や法務大臣を歴任、すでに引退しているが、彼は彼女のお兄さんだ。
荘一さんの参院議員時代に国会事務所をよく訪ねた。美男子とうよりも古武士が似合う堂々たる風貌の持ち主だった。娘の教育はどうだったか、しっかり者に違いない。体調を崩した恭三さんの介護に徹していて心強い。夫は幸せ者である。
徳馬さんが創立したミノファーゲン製薬は、肝臓の特効薬で有名だが、いまは孫の徳一郎君が、徳馬さんが支えた日中友好協会の面倒を見ながら、さらなる発展に奔走している。
佐賀・鍋島藩の傑物・宇都宮太郎大将は、長州の山形有朋に対抗した陸軍の開明派で鳴らした。その血脈は、臼井家と合体して、依然として時代を先導しているように思える。
「権力に屈するな」という徳馬さんの遺言が、現在とこれからの筆者のペンの支えである。勇気をくれた日本一の海苔に感謝したい。
2019年9月29日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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