防災ゼロメートル地帯

2019年10月 9日 (水)

自衛隊の重大任務<本澤二郎の「日本の風景」(3459)

 

自衛隊の重大任務<本澤二郎の「日本の風景」(3459)

<台風19号救助作戦は完ぺきか>

 今秋の土、日に房総半島を襲った15号並みの19号が直撃する。そのための備えをNHK放送などは、老人世帯に押し付けているが、そうするほうが無駄なことである。政府は、まずは総力を挙げて、温暖化防止と低温化に必死で取り組むしかない。災害救済は、防衛省・自衛隊の任務なのだ。関係者には、改めてそのことを自覚してもらいたい。

 もしも、15号台風のさい、5000人以上の自衛隊が、破損した住宅の屋根にブルーシートを張り、倒木処理に全力を挙げれば、せいぜい1週間の停電で解決できた。

 

 安倍や千葉県知事の大馬鹿を非難しても始まらない。問題は、自衛隊・防衛省の怠慢に、根本的な課題を残した。そこで19号が再び襲い掛かる。少しずれたりすると、福島の東電を直撃する。以上の想定される大災害に対しての防衛省作戦が、今どうなっているのか。日本国民は之を知りたいと思っている。

 本会議で追及した質問者はいたであろうか?

 

<防衛省の改憲戦争NO、国民を守る災害対策に専念せよ>

 自衛隊は間違いなく憲法違反であるが、戦争ではなく、災害救済に実績を上げたため、世論は変わった。

 戦争しない自衛隊は、日本の国土と国民生活を災害から守ることが最大の任務である。河野太郎はわかっているだろうか。シンゾウのように戦争体制にのめりこんで、財閥を喜ばせることに専念するのであれば、外相失格に防衛相失格の汚名を着ることになろう。

 

 日本に武器弾薬はいらない。中南米のコスタリカは警察力で、堂々の独立国として、世界に恥じない国家として成立している。

 

 日本は地震と台風災害の超大国である。アメリカのお尻について、彼らの代役を果たすことは、愚の骨頂である。国民の敵は災害である。そのための自衛隊なのである。その限りで、国民は自衛隊を容認している。

 非戦の日本国こそ、国連外交で世界を主導できるのである。防衛省の勘違いは許されない。

 

<初めて東電対応に感謝!>

 いま筆者は心ウキウキである。朝はハラハラしながら、土曜日の19号を迎えることに気持ちがすぐれなかった。

 昼前に心が晴れたのだ。

 

 原因は東電が、我が家の今にも倒れそうな、枯れ切った杉の大木と、もう一本は虫食い杉の二本を伐採してくれたのだ。予告なしに9時過ぎに車両数台で来てくれると、人柄のよさそうな中年の作業員があいさつしてくれた。天にも昇るような気分になってしまった。彼は「これから杉を切ります」というと、5人かそこらの仲間で、専用の機械とチェーンソーを作動させた。

 

 見ていると、枯れた杉の上部を作業員が触れると、大木が左右に動いている。倒れる寸前である。19号が襲い掛かると、隣の二台の車を直撃して破損させただろう。その前に、そばの電線を切断するかもしれなかった。

 

 二時間ほどで伐採できた。桜の大木が一本残っただけとなった。すっきりである。実をいうと、これは15号台風のお陰だ。

 

 何度も、繰り返し東電に伐採を頼んだが、杉の枝切りして逃げてしまった。15号台風で風速70メートルに、幸運にも倒れなかったものの、次回は保証できなかった。再び要請した。どうしてかというと、専門の業者でも「電線に引っ掛かるので、東電に頼むしかない」と言われていた。

 

 現場を見た東電職員の反応は鈍い。「一応上部に上げて検討しますが、無理かもしれない」という。天を仰ぐしかなかったのだが、しばらくして別の職員が「やりますが、日にちは不明」といって帰った。

 そうこうしているうちに19号がやってくる。どうしたものか。そんな暗い予感をしていた時に、東電の作業員が来て、見事に伐採してくれた。初めて東電に感謝である。

 二本の枯れ杉は2019109日午前中に伐採された。日の丸と万歳は戦前の象徴なので大嫌いな人間だが、今は声なしの「万歳」の心境である。

 

<周囲の白い目にさらされないで済む19号対策>

 これで一安心である。亡き父親が植えてくれた木々は、住宅再建の際の木材に、との思いが結晶した杉である。内心、父には済まない。しかし、自宅どころか、第三者に迷惑をかける事態では、許しを請うほかない。

 家の周囲の大木は、一切なくなった。

 あとは19号に屋根が持つのかどうか、である。

2019109日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

 

自衛隊の重大任務<本澤二郎の「日本の風景」(3459)

 

自衛隊の重大任務<本澤二郎の「日本の風景」(3459)

<台風19号救助作戦は完ぺきか>

 今秋の土、日に房総半島を襲った15号並みの19号が直撃する。そのための備えをNHK放送などは、老人世帯に押し付けているが、そうするほうが無駄なことである。政府は、まずは総力を挙げて、温暖化防止と低温化に必死で取り組むしかない。災害救済は、防衛省・自衛隊の任務なのだ。関係者には、改めてそのことを自覚してもらいたい。

 もしも、15号台風のさい、5000人以上の自衛隊が、破損した住宅の屋根にブルーシートを張り、倒木処理に全力を挙げれば、せいぜい1週間の停電で解決できた。

 

 安倍や千葉県知事の大馬鹿を非難しても始まらない。問題は、自衛隊・防衛省の怠慢に、根本的な課題を残した。そこで19号が再び襲い掛かる。少しずれたりすると、福島の東電を直撃する。以上の想定される大災害に対しての防衛省作戦が、今どうなっているのか。日本国民は之を知りたいと思っている。

 本会議で追及した質問者はいたであろうか?

 

<防衛省の改憲戦争NO、国民を守る災害対策に専念せよ>

 自衛隊は間違いなく憲法違反であるが、戦争ではなく、災害救済に実績を上げたため、世論は変わった。

 戦争しない自衛隊は、日本の国土と国民生活を災害から守ることが最大の任務である。河野太郎はわかっているだろうか。シンゾウのように戦争体制にのめりこんで、財閥を喜ばせることに専念するのであれば、外相失格に防衛相失格の汚名を着ることになろう。

 

 日本に武器弾薬はいらない。中南米のコスタリカは警察力で、堂々の独立国として、世界に恥じない国家として成立している。

 

 日本は地震と台風災害の超大国である。アメリカのお尻について、彼らの代役を果たすことは、愚の骨頂である。国民の敵は災害である。そのための自衛隊なのである。その限りで、国民は自衛隊を容認している。

 非戦の日本国こそ、国連外交で世界を主導できるのである。防衛省の勘違いは許されない。

 

<初めて東電対応に感謝!>

 いま筆者は心ウキウキである。朝はハラハラしながら、土曜日の19号を迎えることに気持ちがすぐれなかった。

 昼前に心が晴れたのだ。

 

 原因は東電が、我が家の今にも倒れそうな、枯れ切った杉の大木と、もう一本は虫食い杉の二本を伐採してくれたのだ。予告なしに9時過ぎに車両数台で来てくれると、人柄のよさそうな中年の作業員があいさつしてくれた。天にも昇るような気分になってしまった。彼は「これから杉を切ります」というと、5人かそこらの仲間で、専用の機械とチェーンソーを作動させた。

 

 見ていると、枯れた杉の上部を作業員が触れると、大木が左右に動いている。倒れる寸前である。19号が襲い掛かると、隣の二台の車を直撃して破損させただろう。その前に、そばの電線を切断するかもしれなかった。

 

 二時間ほどで伐採できた。桜の大木が一本残っただけとなった。すっきりである。実をいうと、これは15号台風のお陰だ。

 

 何度も、繰り返し東電に伐採を頼んだが、杉の枝切りして逃げてしまった。15号台風で風速70メートルに、幸運にも倒れなかったものの、次回は保証できなかった。再び要請した。どうしてかというと、専門の業者でも「電線に引っ掛かるので、東電に頼むしかない」と言われていた。

 

 現場を見た東電職員の反応は鈍い。「一応上部に上げて検討しますが、無理かもしれない」という。天を仰ぐしかなかったのだが、しばらくして別の職員が「やりますが、日にちは不明」といって帰った。

 そうこうしているうちに19号がやってくる。どうしたものか。そんな暗い予感をしていた時に、東電の作業員が来て、見事に伐採してくれた。初めて東電に感謝である。

 二本の枯れ杉は2019109日午前中に伐採された。日の丸と万歳は戦前の象徴なので大嫌いな人間だが、今は声なしの「万歳」の心境である。

 

<周囲の白い目にさらされないで済む19号対策>

 これで一安心である。亡き父親が植えてくれた木々は、住宅再建の際の木材に、との思いが結晶した杉である。内心、父には済まない。しかし、自宅どころか、第三者に迷惑をかける事態では、許しを請うほかない。

 家の周囲の大木は、一切なくなった。

 あとは19号に屋根が持つのかどうか、である。

2019109日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

 

2019年9月20日 (金)

記録15号台風と防災ゼロメートル地帯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(3440)

 

記録15号台風と防災ゼロM地帯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(3440)

<情報遮断の恐怖と生活基盤の破壊の恐怖>

 冒頭に、日本の今は、悲しいかな韓国と異なる。司法の独立はない。したがって、あの恐怖の311東電原発爆発炎上による放射能大汚染重大事件の、加害者である経営陣に対して、919日東京地裁は、無罪判決を出した。悪しき裁判官は、最高裁判事候補になるだろう。安倍・日本会議に忖度するのは、官僚だけではなかった。いずれも法に携わる憲法違反の面々である。

 

 再び、台風15号被災地に叩き込まれた筆者は記録する。死の恐怖から生還したものの、安堵することができなかった。情報遮断の恐怖が襲ってきた。

 

 中古の耕運機を保管していた小屋は、消えてなくなっていた。道路に面した直径20センチほどのヒノキが電線に倒れていた。中曽根康弘が愛用した東京・多摩の日の出山荘の、柚子の木をまねて育てた樹齢40年の、我が家の柚子の大木4本が、西側に倒れかけて、根っこの半分が浮き上がっていた。無事に、生き延びさせることができるのか?

 家庭菜園の壊滅もいたい。

 

 この惨状に北京から来た妻は、台風が去った9日午前、半狂乱のようになって、知り合いの家に駆け込んでしまった。深刻すぎる問題は、停電による情報遮断の恐怖である。

 もともと公共放送に値しないNHK嫌いだから、テレビはないのだが、その分、パソコンと携帯電話に頼り切っている。いつ電気が復旧するのか、これは死活問題だ。朝から、残り少なくなった充電の携帯を駆使して、東電に繰り返し電話しても通じない。もうこのことだけで、権力監視の精神が壊れてしまいかねないのだ。

 

 午後3時過ぎ、木更津市役所富来田支所に押しかけた。驚いた。そこは電気がついている。パソコンも使っているようだった。しかし、3人のスタッフは、肝心かなめの東電の様子を全く知らなかった。知ろうとさえしていなかった。

 市は災害対策本部を立ち上げて、市内の被災状況をつかんで、それを市民に発信しているはずなのだが、それさえも無関心を装って、掌握していなかった。住民は承知しているのか、支所の窓口には筆者のほか、もう一人被害を受けた女性が何かを叫んでいただけだった。

 

 ここの住民は、役所に何も期待していない、しても無駄と思い込んでいるのだろう。民主主義が壊れているのだ。

 この日午後、支所近くの高野歯医者を予約していたので、念のため、立ち寄ってみた。玄関には、停電のため休診の張り紙が出ていた。自家発電機能は、支所だけで、病院にはなかった。

 夕刻にも東電に、残り少なくなった携帯を使って、かけてみたが無駄なことだった。街路灯のない田舎道は真っ暗闇だ。台風の渦中に使用して、残り少ない一本のローソクで、何かをお腹に入れると、太陽の沈むに任せてベッドに横になった。それこそ年寄りの夜中の便所も、辿り着くのに大変だった。

 

 この場面で、ようやくこれは甘くない、大変なことになる、と肌で感じさせられた。停電はすぐ復旧するとの、これまでの観念を放棄するしかなかった。

 

 第一、こんなに長い停電を経験したことがない。せいぜい半日もすれば、回復するということに慣れさせられてきた人間である。電気のない生活は、幼いころの台風で、何度かランプ生活の記憶はあるのだが。

 

 この20年はパソコン情報を頼りに生きてきたわけだから、停電は致命傷である。この場面で携帯はおろか、固定電話も使えなくなっていた。茫然自失だ。しかも、ゆだるような暑さである。水シャワーとプロパンガスが、かろうじて命を支えてくれた。水が止まって、水浴びも水洗便所も使えない被災者の無念は、いかばかりであったろうか。

 

 停電2日目の10日、子供たちが心配して来訪。近くの神社から、神社の倒れた杉の下敷きになっていた小屋を見つけてきたが、アルミの骨組みとシートが破損していて廃棄するしかなかった。彼らは、熱中症を心配して早めに引き上げた。聞けば、途中の道路に信号がない。コンビニにも何もないということに驚く我れに驚いてしまった。一難去ってまた一難、事態は深刻なのだ。

 

 君津市山本の波多野さんが「高圧電線の鉄塔2本が倒れている」と教えてくれた。停電の原因の一つを初めて知った。幸い、息子がローソクをたくさん購入してくれたので、これで夜を過ごせると安堵。さらに高圧鍋で、おかゆが作れるというテストにも成功した。

 

 3日目の朝、太陽が昇る前に起きてしまった。台所の窓から、近くの街路灯がついているのに飛び上がった。切っておいたブレーカーを入れると、冷蔵庫が始動した。助かった。これで冷凍庫の食材も助かった。万一、遅れると、すべて廃棄しなければならなかった。不幸中の幸いである。牛乳は熱を加えて飲んでいたのだから。報道されていないが、食中毒にかかった被災者がかなりいたはずである。

 

 <今20日午前720分、また停電である。停電は3度目だ。まだ完全ではないのだ。くやしい。パソコンも送信できなくなる。電話も使えない。携帯はしばらくは大丈夫らしい>

 

 妻が熱中症なのか?寝込んでしまった。新たな心配と不安である。ものすごくよく働いてくれた妻である。クーラー不在が原因であろう。

 それでも、運のよい地区だったらしい。ところが、電話も携帯もつながらない。いわんやパソコンも使えないのである。どういうことか?依然として情報遮断の恐怖との戦いが続く。多くの高齢者はパソコンを使えない。

 

 筆者は息子に教えられて、文字を打つことができるようになった。そのおかげで、政治評論を継続、発信できるのだが。だから余計にストレスがたまる。このような事態を当事者として体験すれば、若者でもこの苦痛を理解できるだろう。

 

 夜中に突然の来訪者である。誰か、不信が先走った。玄関を開ける前に声をかけて確かめた。なんと青木愛参院議員の名物秘書で、やくざに動じない日景秘書が、若い運転手と共に、コンビニ弁当を二人分たっぷり差し入れてくれたのだ。これには仰天してしまった。災害の被災者体験は初めてだが、そこでの差し入れを受ける自分に驚いた。

 

 翌日の4日目には、彼を紹介してくれた八千代市の青柳さんまでが、心配して来訪、非常食のスープを置いていった。人にペンで同情することはあっても、およそ同情されることは、息子の医療事故と同事故死、妻の後追い死でも、あまり経験がなかったものだから、やはり情の人間はそうした行為に、ひどく感激するものである。

 

 彼は近くの児童福祉施設の「野の花」には、60食の弁当を持ち込んだという。

 

 今回のひどい被災地は、館山や南房総であるが、彼は災害3日目から現地を訪れて、住民に寄り添って大汗を流していた。たとえそれが彼の仕事だとしても、立派である。永田町で人事などで一喜一憂、飲み食いしている与野党議員に比べると、実にすばらしい。現に、この時点で、地元の知事も市長も何もしていないのだから。

 

 日景秘書に刺激されて、さっそく近くの江澤・池田・小倉の三君に被害の様子を尋ねながら電話をかけた。大変なのだが、何とかやりぬけてくれるだろう。 君津市望井の石渡幾代子先生は、中学校の英語の恩師である。

 「これから娘のところに行くところ。屋根瓦の破損に近所の人がブルーシートをかけてくれた。電話をもらって本当にうれしかったよ」と何度もお礼の言葉をかけてくれた。被災時の電話は、人を奮い立たせる効果があるものなのだ。これは大事な、大事な、意外に気づかない教訓である。しかし、電話や携帯がつながらないと、それもう可能である。

 

 鴨川の斎藤俊夫・新倉社長は「息子と屋根に上ってシートをかけたよ」と言いながら、友人の電話に感謝してくれた。

 

 震災9日か目に停電から解放された、家の近くの兄と弟のことも知った。うれしいことに妻が、最初に好物のチャーハン、続いて赤飯とおいしい焼きうどん差し入れた。

 お返しに弟は、昨夜新米を7キロも届けてくれた。今朝、停電の前に2合ほど炊いた。おいしい新米に納豆、それに農家の柴崎にいただいた生姜を、味噌につけて食べようと思う。この連載は、震災被害無縁の人たちへの教訓として記録している。明日あと一回、政治論としての記録をする予定である。

2019920日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

2019年9月19日 (木)

記録15号台風と防災ゼロメートル地帯(上)<本澤二郎の「日本の風景」(3439)

 

記録15号台風と防災ゼロm地帯(上)<本澤二郎の「日本の風景」(3439)

<木更津市で感じた「死の恐怖」の房総半島>

 過去の台風被害をさかのぼると、1959年の伊勢湾台風に辿り着く。豪雨と強風が重なって、戦後最大の被害をもたらした。多少の推測を交えると、今回の2019・9・9の15号台風も、風速・風力で、伊勢湾台風に相当、もしくは上回っていたろう。断言したい。

 

 住宅の周囲の環境で異なるが、まともに強風・突風を受けた瓦屋根が破壊された。吹き飛んだ瓦も少なくなかった。地震に弱い瓦屋根は、風に強い。その強いはずの瓦が、強力な風で浮き上がり、家の中に雨水を呑み込んでしまった。

 

 グゥオーンという、空中から大地に周期的にたたきつける、初めて聞く、耳をつんざく風雨の轟音を、正確に表現できないのが悔しい。

 深夜の午前2時前後からである。ほとんどの住人が、ものすごい大気の移動による不気味な轟音に、寝床から起き上がった。

 

 轟音の合間に、ザーッという大量の雨が大地をたたきつける。超がつく強風・暴風雨である。小さなソファに座った。30分ほど辛抱すれば、静かになるはずである。従来、経験した首都圏の台風のすべてがそうだった。

 期待外れだった。午前3時ごろ、電灯が消えた。あまりのすごさに、発電所が送電を止めたのだろうと思った。

 

 急いで懐中電灯を探して、仏壇の前に走った。住宅の整理中、一本のローソクのあることを覚えていたのだ。あった!プロパンガスに点火して、今世紀初めてのローソクで部屋を明るくした。

 

 グゥオーンという、地獄から吹き上げるような轟音に生きた心地がしない。そのはずだった。わが埴生の宿は、世間様のがっしりとした家ではない。なんとなんと、揺れている!地震での揺れは、日常茶飯事の房総半島である。

 

 近くの丘のような低い山坂には、海岸にある砂と同じものがある。貝殻も交じっている。かつての海が隆起した半島なのだから、地震は当たり前といっていい。実は、日本列島すべてが火山帯なのだ。

 

 そこに被爆国でありながら、核の原子力発電所を54基も建設した中曽根康弘らとそれを宣伝してきた読売グループ・通産官僚に、人間性がひとかけらもないことがわかる。防災ゼロメートル地帯の日本を象徴している。

 

 家が揺れて生きた心地がしない。家ごと吹き飛ばされて、一巻の終わりとなるのか。本気でおびえてしまった。人間は自然によって生きる、生かされている。工業化で自然を破壊してしまい、いまその仕打ちを受けているのであるが、突然の暴風雨に、無事に耐え抜くことができるのかどうか。

 

 住宅の窓サッシは交換してまだ数年である。外からの風を遮断する力はある。それでいてローソクの炎が揺れている!このことも恐怖を、いっそう増大させた。初めて経験する死の恐怖である。

 

 この世に神仏はいない。いるという宗教は存在して、一部の人たちを誑し込んで、所詮は金集めをしている。識者はみな知っているが、それでも神仏に身をゆだねる庶民はいる。それも生きるか死ぬか、という場面では、人が何かにすがろうとする気持ちを、だれも止めることはできない。むろん、それでどうこうなることではないが。

 

 死の恐怖の時間は、実に3時間に及んだ。異常で非情な15号台風だった。一睡もせずに夜を過ごした、房総半島の大半の人々だった。

 

 幸いにも、我が家は生き残った。外見上は、周囲の住宅も消えていなかったが、小屋が飛んだりする被害もあったし、樹木の被害は、我が家では軒並みだった。南側50メートル先の森が助けてくれたのだろう。

 

 東側の農家の大きなビニールハウスは、半壊してバタバタと音を立てていた。

 

 ここ数年来、列島の西側での豪雨被害が続いた。2011311日は、東北地方を襲った巨大地震と大津波で、東電福島原発が爆破炎上した。天罰であろう。

 

 間違いなく、日本列島は天に逆らって、そのしっぺ返しを受けている。むろん、日本だけではないが、1961年施行の災害対策基本法を全面的に見直す必要がある。それだけでは十分ではない。

 

 自然と共に歩む治世にするしかない。このままでは本当に、あと数百年の地球になりかねないだろう。

2019919日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

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