日記・コラム・つぶやき

2023年4月 3日 (月)

本澤二郎の「日本の風景」(47639

本澤二郎の「日本の風景」(4763)

<森のブルーべリー散策と白樺湖からの便りに心安らぐ>

 オペラ歌手の近藤日佐子さんが「NPO法人調和の響きエコツーリズムネットワーク」編の「社会的共通資本としての財産区および財産区有林」という頭の痛くなるような小冊子を送ってきた。しかし写真をみて安堵。「白樺湖畔散策」に高峰三枝子が歌っていた「湖畔の宿」が浮かんだ。自然を破壊する金亡者に対抗する、自然を愛するいい人間の地球社会は依然として厳しい。

 自然破壊の最大の悪魔は戦争である。死の商人との対決が人類の最終戦となろう。日本人もこれ以上ゆでガエル状態だと危ない。自然も安全ではいられない。

 

 

 それはさておき、先週金曜日に近くのエザワフルーツランドを散策して、森のエネルギーをたっぷり吸い込んだ。いただいた竹の子を御飯にして食べ、お腹をふくらませている。こちらには湖水はない。全てが山であるが、そこに日本一のブルーベリーの森がある。清水が流れる坂道をゆっくりと上ってゆくと、孟宗竹が崖の崩壊を防いでいる。自然が自然を防御している。これこそが自然による防災機能である。見事な防壁に拍手したくなった。

 

 

 山や谷の災害は、必ず悪い人間が盛土などで人工的に手を加えるために起きる。人工的な防災工事が大災害を引き起こす。もともとの山川であれば、風水害の被害が大きくなることは少ない。人間が自然を壊すことで大災害が起きる。自然の回復力・治癒力は、人間の浅知恵など歯が立たない。

 白樺湖畔に住むオペラ歌手の一言に頷いた。「もし湖水ではなく海だとすれば、間違いなくここにも原子力発電所が出来ている」と。至言である。財閥など1%人間の欲望は、どうしようもなく尽きようとしない。「今だけカネだけ自分だけ」が、世界の人間社会を支配している。

 必死で戦争準備をする自民党・公明党・維新・国民は、自然の価値を理解していない。全体の奉仕者ではない。中国の古典の一つである「大学」が為政者に求める修身斉家の人がいない。従って、治国平天下という人民の目標を達成できない。

 

 

 沖縄を見よ、である。南西諸島に次々とミサイル基地が完成、結果的に日中間の緊張をつくり上げている。昨日のネット情報には、現地入りしたやくざの倅が映像に出ていた。人殺し部隊は、ほぼ100%の確率で自らも殺されるのだが。むろんのことで自然が破壊されている。札びらに屈して軍隊を誘致した人間は、人間を育む自然を理解していない。

 

 

 非戦の憲法を保持しながら戦争準備に43兆円をかけるという、今の岸田文雄内閣は、安倍晋三以上に野蛮な自然破壊者といえる。小西洋之が改憲派を「サル」と決めつけたことは正しい。文句なしに正当な主張だ。立民の泉という若造もおかしい。しかし、猿は自然と共に生きて自然を破壊しない。永田町には猿以下の政治屋ばかりだ。

 

 

<エザワフルーツランドは森林力100%の目に健康果樹園>

 このあたりの山は竹藪と杉と雑木が目立つ。杉材を使ったログハウスに興味があるが、日本ではまだ田舎には見られない。園の入り口に建つ便所は杉材を使った見事なログハウスだ。一度は住んでみたい建物である。もうブルーベリー園を始めて25年になる江澤貞雄園主は、自信満々に園内を案内してくれた。

 彼が年々たくましく成長していることも頼もしい限りだ。「農薬も肥料も一切使わない健康果樹園計画」を25年前に立てた、そこに成功の秘訣があるのだろう。

 竹を伐採し、杉を切り倒し、そこにブルーベリーの幼木を植えてゆく。

山の適度の水分は自然の恵みだ。降り注ぐ太陽とふかふかした絨毯のような森の腐葉土は、肥料など寄せ付けない。全てが自然に委ねられた果樹園である。

 最近は花桃の木を植えている。切り倒した杉を利用して歩道も。自然の草木は、そのままにして「自然植物園」としての価値を高めている。山桜の大木もある。知らなかったことだが、樹木はさし木でつくが、樹齢が短い。山の樹木は種から成長するため、数百年の歴史を刻むことが出来る。

 夏場のやぶ蚊対策も見事だ。殺虫剤は使わない。海苔業者の使い古しの船を利用し、そこにメダカや金魚を放し、蚊の幼虫を食べさせている。自然界の生き物の循環利用もあっぱれだ。

 「食べ放題ブルーベリー園」は夏休みの子供たちの最高の「学びの森」にもなる。自然との共存を学んでもらう格好の教材の森でもある。

 かくして全国から問合せが少なくない。

 

 

<自然と共に歩く人たちの学びの宿にも>

 今回ブルーベリー園で学ぶ数人の人たちに出会った。東京から夫妻で飛び込んで、家と土地を借りてブルーベリーの栽培を始めたという元気そのものの同世代のAさんと、山形県から単身乗り込んで、水田を借り受け、そこで年中水をためる自然農法・無農薬水田つくりのBさん。水田にはドジョウやタニシ、そのうちそこで淡水魚の養殖にも手を出すだろう。蛍園も出来るだろう。

 名刺代わりに「平成の妖怪・大勲位中曽根康弘」(健友館)を謹呈した。この本で出版社は倒産、筆者も大学教授の椅子を棒に振ったのだが、自然を愛する人間の心は純真で優しい。誠意と感謝の気持ちで人生をたくましく生きている。

 

 

 今ここでとれた竹の子ご飯を食べていると、江澤夫妻が元気で活躍していることがすばらしい。周辺の水源地には、やくざの産廃業者による違法な核のゴミが埋設されて住民は泣いている。

 自然を知り、自然の力で生きる森には、悪魔は逃げる。人間の覚醒は自然を知ることからである。

2023年4月3日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

2023年3月 7日 (火)

ものつくり落第国<本澤二郎の「日本の風景」(4737)

ものつくり落第国<本澤二郎の「日本の風景」(4737)

<すぐに壊れる日本製は以前の中国製のレベルに落下>


1979年12月の大平正芳首相の中国訪問以来、軽く100回を記録、一人満足している凡人ジャーナリストは、中国人の日本を高く評価したことの一つが日本のものつくりだった。「これは日本製」が、彼らの合言葉のようだった。特に家電製品のそれは圧倒していた。日本製の便器も人気だった。

 

 元建築技師のチヨウさんは、北京市内の高層ビルで働いたことが自慢の種だった。日本の建設会社が請け負ったもので、今も市内の主要道路の長安街の東地区にそびえ建っている。彼は自宅で、今では超がつく本物の茅台酒を

ご馳走してくれた。生涯の思い出となった。

 中国製はよく壊れ、修理に頭をひねる中国人を見ながら訪中歴を重ねてきた。その中国は飛躍的に経済発展した。原動力が大平訪中時のODA援助だった。「もう必要ない」とブレーキを踏んだのが、清和会・台湾派の小泉純一郎内閣である。彼は国家神道を引きずる神社本庁の意向を受けて、戦争神社

として国際社会で知られる靖国神社参拝を繰り返した。日中関係の逆転は、小泉内閣を経て安倍内閣で完璧に1972年前に戻った。清和会は岸・A級戦犯の意向が反映した自民党極右派閥である。

 清和会路線のもとでの日本経済は衰退し、ものつくり大国は沈没してしまった。そのことを、いま我が家で試練の体験をさせられている。

 

<2年ほど前に購入したナカトミのエンジン耕運機=エンジンかからず>

 反省も謝罪も出来ない東芝の製品の質はよくない。買うのをやめて久しいが、目下のところ、猫の額の広さの家庭菜園のために購入したミニ耕運機のエンジンがかからない。1年に10数回程度しか使用していない、学生なら2年生である。その前には中古の耕運機を中国人が見つけてきたが、これが全く役立たず。仕方なくコメルという店で、ナカトミのエンジン耕運機を購入した。

 日本製の車は、いまも元気なようだが、ガソリン車から電気自動車になるとどうなるのか?耕運機も自動車並みと思って使い始めたのだが、どうもエンジンがかかりにくい。使っていても暴走するので、気楽に転がすことが出来ない。

 今年はやや春めいてきたので始動させようとしたが、一度だけ点火したものの2度とかからない。説明書を初めて取り出した。「オイル不足か」と思ったが、大して使っていないため、それはない。マフラーの汚れは半分程度。プラグを見たが、素人にはよく分からない。

 やむなくナカトミ本社に電話したのだが、同じ点検をもう一度やってほしい、という程度のアドバイス。試したが効果なし。購入したコメルに苦情を言うしかないのか。修理代金が高いだろう。車はこんなことはないのだが。

 

<東電ブレーカー故障=火災炎上寸前にエアコン設置で命拾い>

 君津中央病院に3月3日に付き添いで出かけた。帰りにFAXのインクを購入しようとして、ヤマダ電機を回避してケーズデンキに寄った。ついでに、この1年動かなくなったエアコンが気になって見てしまった。幸い見たくもなかった東芝製品が置いていない。目の前の日立に注目した。店員が今が買い時と宣伝するものだから、夏場で買うよりもいいはずだと一人合点して6畳用を買ってしまったのだが、これが幸運を運んでくれた。

 取り付けるためのケーズデンキの業者が、昨日の3月7日に来て取り付けてくれたが、いざ試運転の場面で動かない。理由は電気が流れていなかった。そんなバカなことがあるだろうか。

 8年前にエアコンを増やしたさい、電源盤を20アンペアから30アンペアに変えた。東電の業者が工事をしてくれた。エアコン用のブレーカーもついており、間違いなく電流が流れているはずだが、工事担当者は「電気が通じていない」と首をひねりながら、ブレーカーを開いて仰天してしまった。

 接続不良が見つかったのだ。「運が悪いと火災が起きて大変なことになるところでした」という腰を抜かすような説明に納得した。

 

<幸運=ケーズデンキ木更津店の向山さんに助けられる!感謝>

 彼は、茂原市から木更津のケーズデンキに通っているという電気修理屋の向山さんといった。突然止まってしまったエアコンを昨年、掃除をした途端、動かなくなった。電流が流れて居なければ、動くわけがない。そうして夏と冬をやり過ごしてきたのだが、それにしても電源盤の接続が外れていたとは?原因は地震のせいか、それともいい加減な手抜きのせいなのか。

 311で東電の関係者はおかしくなっていたのか?はっきりしない。しかし、万一漏電やショートして火事?それが真夜中だと命の危険性も想定された。

 まだ冬場の季節は続いている。わが狭い書斎は本を大量に処分したものの、まだかなりある。その部屋が暖かくなった。一息ついたがそれにしても、電源盤の不良を見つけてくれたケーズデンキの向山さんには感謝感謝である。

 まさに幸運だった。次男も妻も悲劇の運命に敗北したが、夫はまだ健在で、こうして生きている。

 

<日本車はかろうじて合格だが、他に何があるのか?>

 日本を代表する軍需産業の三菱重工は、国産初のジェット旅客機の開発から撤退した。経産省の敗北ともなった。日本の技術は、ものつくりは、もはや過去の話となっている。

 「日本製」は、国際社会では通用しなくなってきている。官僚も政治屋も腐敗の権化である。この10年のアベノミクスの実績は、投資もしないゼロ点だ。そんな安倍政治の回顧録をナベツネ配下の読売が出版し、安倍晋三の嘘をまとめた。これが今の日本の実像なのであろう。

 極右・清和会は岸田という看板を替えてみたが、やってることはアベノミクスの延長である。国民は沈没をじっと見ているだけでいいのか。

2023年3月7日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

  

 

2023年3月 2日 (木)

梅の下で餃子小宴<本澤二郎の「日本の風景」(4731)

梅の下で餃子小宴<本澤二郎の「日本の風景」(4731)

<メジロは白梅の蜜を吸うために群れて梅から梅へを初めて確認>

 昼前にラジオをつけた。例によって些末な審議の様子を確認して聞くのをやめた。午後4時過ぎにもつけてみたが、大局論ではなかったのでスイッチを切った。国権の最高機関らしい国家審議をしていない。

 友人を招いての春節餃子小宴のほうが大事である、と勝手に判断して、普段は汚れ切っているベランダの掃除を始めた。雑巾の汚れはひどい。繰り返し洗い流してささやかな小宴の場を設けた。

 柴崎夫妻が来るまで我が家の白梅を物珍しそうに見つめ続けていると、そこに黄緑の羽の色をした小鳥が5,6羽。懐かしいメジロだ。彼らはじっとしていない。蜜を吸っては枝から枝へ。白梅とメジロに因果関係があるものらしい。蜜を吸うメジロを初めて確認した。ただし長居はしない。そこが見事だ。ギャングのようなヒヨドリとは違う。わきまえた行動ぶりに感心してしまった。

 

<初めての白梅の下での宴に餃子をたらふく>

 中国本場の餃子は、水餃子で日本の焼き餃子と異なる。慣れていない日本人は、酢などのタレを使うことになるのだが、本日は辛くないキムチ用の唐辛子を使った。これもなかなかいい。食べても食べても食べられる。しかも、消化がいいのでお腹がもたれることがない。最高の中国料理である。

 西方シルクロードの焼きもち(ナン)と、中国・東北地方の料理から生まれたと聞いたことがある。中国を代表する餃子は、春節に食べる機会が多いようだ。

具にはニラやキャベツに豚肉。肉も脂身がある方が味がいい。そして塩で餃子全体の味を調和させるため、最初の段階で塩味の具合を見て、大目か少なめをみるのである。

 中国では家族団らん、みんなで協力して餃子の皮(メリケン粉)を練ってつくり、そこへと具を入れて包むのだが、慣れない日本人には難しい。

 

 ゆで上げたばかりの餃子が次々と卓に運ばれてくる。熱く揚げた餃子を口に入れると、正に餃子の最高の味を胃の中に送り込むことになる。舌のありがたさを感じる瞬間である。

 純白の梅の花の下で食べる餃子の宴は、無論初めての贅沢である。自然の中で談笑しながらの食事はすばらしい。

 

<人生いろいろ、元小学校のおしどり教師も複雑な家庭だった!>

 小学生のころ、戦争帰りのX先生に教わった。夫人は美貌を振りまく優しそうな先生だった。3人の男の子らも母親似で格好がよかった。さぞかし素晴らしい人生を送っていたであろうと想像していた。

 20年以上も前に会った時には「世界一周旅行は済んだし、二人の年金は月に70万円。もうやることもない」と語っていたのだが。

 「二人の晩年は大変だったらしく、よく夫婦喧嘩をしていた。貴婦人のようなはずの感じのいい先生も、身に着ける洋服やスカートや靴などはみすぼらしかった」「男のX先生は毎月お酒を一升瓶10本を買っていた。10本買うと1本サービスといっていた。長生きできなかった」「3人の子供さんも既に二人亡くなっている。人生は判らない」

 以上の話を聞いているうちに気分が暗くなってしまった。東芝病院で殺されたような次男正文のことを思い出した。いまコロナワクチンで亡くなった市民もいる。人生はいろいろで片づけられるものではないが、多くの国民は苦しみながら生きているのであろうか。

 

<健康食品・米ぬかを炒ったモノを試食してもらう>

 ネットにはコオロギを食べさせる話が出ている。昔はイナゴは食べていたようだが、我が家では鶏に食べさせていた。それでもなかなか産卵してくれなかったという苦い思い出がある。

 猫が大好きな夫人に「チャボを買って安心な卵で納豆とネギで食べるといい」と声をかけてみた。「タンポポの効能もすごいらしい」といったことなども。

 我が家の意外な新製品は、米ぬかを炒って食べることを覚えたばかりだ。二人に試食してもらった。

  

<二人で缶ビール2本で満足>

 この日の白梅の宴は4時間近く続いた。時間が過ぎるのも忘れてしまったのだが、アルコールは缶ビール2本。これも長生きの秘訣であろう。

 1か月一升瓶10本は多すぎる。思い出すと、義父・廣岡慎次は戦後の東宝争議のころ、酒でカバーしていたらしく、50代の若さで胃がんで亡くなっている。強ミノの威力を教えられていれば、70や80くらいまで生きられたはずだ。

 禍福はあざなえる縄の如し?

2023年3月2日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

2022年6月28日 (火)

夢と現実<本澤二郎の「日本の風景」(4488)

夢と現実<本澤二郎の「日本の風景」(4488)

<「何か楽しいことが」に夢枕に小泉進次郎が立つ?>

 毎日悲しい記事を書くのも辛い。友人も「何か楽しいことがないものだろうか」

と本気で声をかけてくる。確かにそうだ、いいネタはないものかと考えながら横になった。驚いた、会ったこともない小泉純一郎の息子・政治後継者の進次郎が、枕元に立っているではないか。

 さっそく自己紹介を始めた。「君のお父さんの結婚式に出たよ。福田赳夫さんが仲人だった。その時の引き出物が時計だった。それが今も動いている」と事実を息子に伝えてあげた。

 進次郎のその時の驚きの様子が面白かった。

 

<「純ちゃんの結婚式に出た」「引き出物の時計が今も動いている>

 進次郎の歳を知らないが、彼は政治の世界に飛び込んでいる。確か関東学院というところで学んだと聞いている。安倍晋三と同じく勉強が嫌いなのだ。しかし、政治屋は務まる。自民党の物差しで測定すると、60点ということだろう。

 アメリカでの僅かな生活が、永田町では優位というお国柄だ。新聞テレビがはやし立てた途端に、彼は有名人になってしまった。

 彼の結婚式を知らないし、全く興味などなかったが、彼もまた父親の結婚式を知らない。そして母親が小泉家から飛び出してしまい、父子家庭で育ったという点では、彼の人間性について問題がないわけではない。

 子供の精神に圧倒的に影響を与えるのは、母親である。今からでも遅くない。母親がいるのだから、一緒に暮らすことも出来る。

 

<「両親を復縁させなさい」「わかりました」で目が覚めた>

 「進ちゃん、両親を復縁させなさい。それが息子の責任だよ」と諭すように声をかけると、夢の中の進次郎は素直に「分かりました」と。その場面で目が覚めた。進次郎に狭すぎる自宅玄関で正確な時を告げる、引き出物の時計を見せてあげたいものだ。

 一度電池を交換しただけで、今も正確な時間を刻んでくれている。人間は片親でも育つ。大きくなるが、精神はまっすぐかどうか。今からでも遅くない。父親も十分満足するような、自由な生き方をしてきた。隣国に多大な迷惑と日本の信頼を傷つけたが。進次郎には両親の愛情が必要であろう。そうでないと、ワシントンの操り人形として人生を終えることになる。

 

<母親は泰道家出身、宏池会に所属していた三八さんは今どうしてるか>

 泰道三八というと、確か薬屋のエスエス製薬のオーナーで知られた。小泉純一郎の妻は、泰道家の身内である。生活に困窮しているわけではない。

 

 敗戦後の三重県警の責任者だった渡辺一太郎は、当局の指示だと思われるが、伊勢神宮をくまなく調べ上げた。結論をいうと、戦前の国家神道は朝鮮半島からもたらされた原始宗教だった。そのことを筆者に遺言のように明かした。渡辺さんは、その後に千葉県警本部長・同副知事・参院議員となった。泰道・エスエス製薬との出会いはこのころだ。息子が政界入りすることに力を貸した。彼は大平正芳の宏池会に籍を置いた関係で、筆者とも仲良くなった。

 彼は口には出さなかったが、小泉家から追い出されたような身内のことで、心を痛めていたようだ。彼自身、事件に巻き込まれ、逮捕収監される。警察も検察も、安倍のように忖度してくれなかった。泰道三八いまいずこ?清和会の安倍に忖度して、捜査をしない日本の検察の不正は、今も問われている。

 

<訃報 秀才・金田英行君!日本の最北端でカニ刺身の思い出>

 秋田県の秀才・金田英行君が亡くなった。学生時代は明るく自信満々だった。色白の美男子だった。北海道開発庁のエリートから、書家でも有名な村上北海の後継者となって政界に飛び込んだ。村上の関係で清和会に入ったことが、その後の人生に暗い影を落としたかもしれない。

 清和会の後継者となった北海道出身の町村信孝は、総裁選で安倍の横やりに突き落とされてしまった。他方、安倍晋太郎嫌いの福田赳夫は、晋太郎の総裁選出馬に際して、大野伴睦の秘書から政界入りした北海道の実力者で知られた中川一郎も支援した。

 つまりA級戦犯の岸信介の後継者・福田は、岸の娘婿となった安倍を信用しなかった。嫌いだった。一口に清和会といっても、岸と福田の確執がすごい。北海道という選挙地盤には、魚の関係で旧ソ連、現在のロシアとの関係が深く、そこを日ごろから公安調査庁が目を光らせている。

 中川父子の自殺も記憶に新しい。中川一郎が「星影のワルツ」を歌った直後に首吊り自殺したが、直前の国会近くの事務所での彼の一言を忘れられない。「政界は政友ばかり、心友はいない」と。与野党に通じるだろう。モスクワを愛した宏池会の阿部文男は、岸の別動隊の青嵐会(森喜朗・石原慎太郎ら)を向こうに回して、大平擁護の急先鋒だった。だが、妙な事件で失脚させられた。余談だが、義母・廣岡キヨノの身内の福島出身の正木清は、北海道から社会党代議士となり、衆院副議長まで昇りつめた。現役時代は東京・大田区下丸子の廣岡宅2階に下宿した。妻の眞知子いわく「正木のおじさんは、よく朝日新聞を含めて日本に記者(汽車)はない。トロッコばかりだ、とよく口にしていた」と。ジャーナリスト不在は昔からだった。

 

 ところで、金田君に一度だけ講演を頼まれた。北海道最北端で、というので、喜んで応じた。うれしかったのは、初めてカニの刺身を腹いっぱい食べたことだった。いまロシア船から買えなくなってしまった。地元は大変だろう。戦争はいかなる事由も、理由にならない。27回もプーチンと宴会談義をした安倍晋三の正体が、モスクワから露見するだろう。

 

<白門研究会の曽我部浩君、出世頭・高野利雄君は名古屋高検検事長>

 中央大学法学部には、司法試験向けの研究会がいくつもある。お茶の水から八王子に移転して以来、成績は大きく落ち込んでいると聞く。苦学生がいなくなって、学生の質が低下したとの声も。

 金田英行君との出会いは、白門会だった。努力家の高野利雄君は、いつも研究室にもぐって六法全書と向き合っていた。他方、曽我部浩君はいつもニコニコしながら、ものしずかでのんびりしていたので、家庭教師で生活費を稼いでいた筆者と馬が合った。この白門会は、他の研究室と異なり、全寮制だった。

 施設は松戸市の江戸川沿いの遊郭を買収したもので、そこに学生を住まわせて、司法試験と公認会計士試験の勉強をしていた。うぶな人間は「遊郭」の意味が分からなかった。6畳か8畳の部屋に学生2人を同居させ、そこから廊下伝いに薄暗い研究室へと移動し、思い思い分厚い法律書とにらめっこするのである。

 今考えると、こうしたことは生まれつき性分に合わないし、それよりも松戸駅から電車に揺られて御茶ノ水の大学の机に向かったり、夕刻の家庭教師の方がお似合いだった。1日10時間も机にかじりついて、無意味?な法律用語を丸暗記する?そうして手にした資格ある人間の価値とはなにか。およそ人間性を育むことなど無縁に違いない。

 法律家に欠陥人間が多いという指摘は、本当であろう。いま年間1500人もの合格者を出していると聞いた。仕事がない弁護士は、勢い検事や判事になるのだが、その門はひどく狭い。失業する弁護士は少なくない。やくざに雇われる弁護士も生まれる。

 どうでもいいことではないが、いい法律家はいない、見つけるのが大変だ。

 金田英行君はまずまずの人生だったのかもしれないが、清和会ではどうだったろうか?離婚したと聞いたが、その後はどうか。喪主は弟の公認会計士の英成君。妻を亡くして一人ぼっちの人生だったのか。晩年は誰もが通る道なのか。

 曽我部君の結婚式に呼ばれた。彼の父親は神奈川県を代表する精神科医だった。息子は精神病院の理事長を長く務めたであろう。今どうしているか。結婚式では、同窓生代表として「大平さんのように銅像似のべーちゃん」と披露した。人生は多かれ少なかれ波乱万丈だ。筆者だけではあるまい。

2022年6月28日記(東芝製品・サントリー・トヨタ不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

2022年3月 6日 (日)

玄愛華女史が北京で永逝97歳<本澤二郎の「日本の風景」(4376)

玄愛華女史が北京で永逝97歳<本澤二郎の「日本の風景」(4376A

<中国人民志願軍の英雄=彭徳懐司令と共に最強の米軍と戦った!>

 中国史には数限りなく英雄が登場するのだろうが、筆者にとって身近な英雄は、2014年暮れに知り合った玄愛華女史。97歳で3月6日午前11時過ぎ、肺炎で入院していた病院で、静かに目を閉じた。老衰である。数日後には、北京市郊外の八方山で眠る夫の遺骨と一緒になる。24歳で元人民解放軍へ、息つく暇もなく、無事に生きて帰れない朝鮮人民志願軍へ参戦した。戦場では、通訳や戦病死者らの介護や埋葬など、それこそ女性ではこなせない、耐えがたい任務をこなして、北京に生還した。朝鮮戦争では、志願軍兵士の死者は100万ともいわれている。毛沢東の長男は、米軍の空爆に倒れている。

 

 抗日戦争から蒋介石の国民党との国共内戦、そして朝鮮戦争へと続く信じられない強行軍に、毛沢東側近の林彪でさえも、大反対して降りてしまった。困り果てた毛沢東は、やむなく彭徳懐を起用した。日本に原爆を投下した世界最強の米軍を相手に戦う志願軍には、武器らしい武器はなかった。それでも引き受けた彭徳懐は、中国軍第一の名将であった。

 

 人間を盾にした戦闘で、38度線を死守した。金日正の朝鮮民主主義人民共和国は、中国人民志願軍の命の代償だった。玄愛華女史は、見事、死闘を耐え抜いた。

 

<野戦病院軍医・元日本兵の通訳も担当>

 志願軍には、侵略日本軍を抜け出して、解放軍で入った日本兵がかなりいたようだ。志願軍の野戦病院は、日本の元軍医が指揮していた。女史は志願軍幹部と日本兵軍医の通訳も兼務する、いまでいう衛生兵だった。

 

 当時の様子を筆談で取材した。老いて耳が遠くなっていた。無数の死者が病院に運び込まれる、厳寒の山岳地帯での任務はきつかった。「二人一組で、凍って棒のようになった死体を洗って、バラックのような建物に運び込む。春になると、土に埋められる。生きた心地もしなかった」と当時を述懐した。

 来る日も来る日も無数の死体との出会いである。食べ物・衣服・武器不足のないない尽くしの志願軍である。「朝鮮の兵士は、酒ばかり飲んでいた」というエピソードも明かした。

 

 元日本兵の軍医や看護師との交流で覚えた北海道民謡「ソーラン節」を歌ってくれた。中国軍に味方してくれる日本兵と親しくなった彼女は、何が起きても日本を嫌うことはなかった。

 

<戦死者の処理は元日本人看護兵と一緒に作業>

 1972年の国交正常化が実現すると、軍務で親しくなった日本の看護兵と北京で再会することが楽しみだった。

 彼女の体は大きかった。老いても165センチ以上もあった。170センチほどではなかったかと思う。色白で美形の持ち主だった。書の達人で、よく新聞紙で練習していた。

 92歳になっても一人で買い物に出かけていたが、不運にも路上で転んでしまった。「これでおしまいか」と医師も諦めたが、本人の再起する意思は固く、見事ベッドから起き上がり、居間でテレビが見られるようにまで改善した。

 

 彼女の母親の苦労は、また壮絶なもので、ここには書ききれない。戦火のなかを二人の幼い娘の手を引いて逃げ惑う姿を想像できるだろうか。日本では空想さえも出来ない運命を乗り越えてきたが、かの文化大革命という恐ろしい政治闘争の渦中、食べるものもなく息絶えた。

 

<毎晩泣いていた元日本看護兵はハルビンで幼子を絞め殺していた!>

 彼女は、悪魔の関東軍・731部隊の本部のあった黒竜江省ハルビンでの日本人幼児の悲劇を語ってくれた。敗戦時のハルビンでは、いち早く731部隊が逃げた。残されたのは、大半が女性と子供たちだった。

 

 幼子を連れて日本に逃げられないため、大人たちは無残にも皆殺しにした。泣き叫ぶ幼児の首を絞めて殺した母親たちのことなど、まるで現場で見たような話をしてくれた。

 

 理由は日本の看護兵が、毎晩泣いているので、その理由を尋ねたら、彼女らも幼児を殺したという。思い出して泣いたと分かった。

 

<前例のない母親・夫と赤子二人の家族総出の戦闘>

 筆者が玄愛華女史を英雄と称える理由は、志願軍に母親と夫と二人の幼子の一家総出で参戦した点である。死ぬ確率の高い志願軍に参戦した勇気は、人民解放軍と朝鮮志願軍合わせても、女史のような人物は一人もいない。

 

 幼子は二歳と生まれたばかりのゼロ歳である。このような人物は、世界広死といえども、彼女以外に一人もいないだろう。北朝鮮は女史のような英雄が作り上げた国家なのだ。仰天するような歴史は、まだ中国に沢山眠っている。

2022年3月6日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

2022年1月30日 (日)

北辰電機・辰友会<本澤二郎の「日本の風景」(4340)

北辰電機・辰友会<本澤二郎の「日本の風景」(4340)

<懐かしや!ネットで確認=世襲二代目は実業界も政界どこも駄目>


人間はやれば大抵のことは出来る!インターネットは実に便利だ。過去の思い出を目の前に取り出して見せてくれる。15歳の春、上京して、社会人1年生体験を、この機会に少しばかり記録しておきたい。

 

 君津郡馬来田村の中学校を100人弱の仲間とともに卒業。卒業式では、今では考えられないほど沢山の賞状をもらい、自信をつけることが出来た?直前に、東京・大田区下丸子の北辰電機が50人の中卒者を募集、運よく入った。当時、普通高校に入ったものは、数人しかいなかった時代である。家には、父親か祖父が使ったものか、朽ち果てそうな経机のみ、勉強無縁の環境だった。

 

 時代物の小説をかじったのは、小学校5年生の時。校長室に小さな図書室が出来た時だ。平家物語や源平盛衰記のような物語を、毎日自宅の畳の上で、寝転んで、日が暮れるのも忘れて読んでいて、近眼になってしまった。兄弟で一人眼鏡をかけねばならなかった。この眼鏡を子供同士の相撲で、数回破損した。母にこっそり告げて、新しくしなければならない、この時が子供心に心から親不孝者だと思い、辛い思いをした。母は黙って新調してくれた。今も感謝している。

 

 北辰電機の入社試験を思い立ったのは、母の姉が羽田空港そばの漁師に嫁入りしていた関係である。母の祖父が、当時の田舎ではやり手だったらしい。目の前の竹を大量に伐採、木更津港から船で、大田区大森の海苔問屋におろしていた。自身の宿を確保する拠点にしようとして、孫一人を羽田に送り込んだ。そこで旅館を立ち上げようとしたのだが、娘は病に倒れ、旦那の漁師も台風下、東京湾に呑み込まれ、5人の子供だけが残された。

 

 母は、姉の長男の家に1957年(昭和32年)4月、ピカピカの北辰電機社員を押し付けた。2畳ほどヒサシを出した、雨露をしのげるだけの下宿生活?

も、半年で切り上げた。「便所を汚した」とそこの女主人に叱られて、飛び出すことにした。当時、小さなコンロを買い、その上に母の友人が、就職祝いにいただいた1合か2合炊きの釜を乗せた。それでご飯を炊いて、羽田空港駅から京浜急行の穴森線で蒲田へ、歩いて東急・目蒲線の蒲田駅から下丸子、目指す北辰電機の本社工場に辿り着いた。これがわが社会人のスタートとなった。

 

 思うに人間が生きるためには、住まいの確保が大事である。精神安定の秘訣でもある。間もなくして、下丸子駅前の下宿に移った。既に6畳一間に先輩がいた。二人しての生活である。当時は空腹が辛かった。その後、会社の寮に入って一安心したことを忘れない。といっても、寮も二人住まいだった。

 

<関東東北から1000人受験50人採用=15歳で上京、羽田から下丸子に通勤、月給6000円>

 上京して就職した仲間たちの多くは住み込みだ。46時中、自由がない。自由こそが、人間の一番の価値に気付いたろう。

 

 北辰電機が、当時の計測器関連技術で日本をリードしていることなど知る由もなかった。50人募集に関東や東北から試験に殺到した。およそ1000人から選んだという。東京の自宅から通勤する仲間を見ると、うらやましくて仕方がなかった。

 

 午後4時30分に退社して、魚缶詰や漬物で夕食を済ませ、銭湯に行く。帰宅する途中、裸電球の家々の団らん風景を目にすると、痛く心が揺れた。15歳で親兄弟・故郷と離れて暮らすことの厳しさは、体験者でないと分かってくれないだろう。

 

 その対価は月給6000円、そこから年金などが引かれているのだが、それが何なのか知る由もなかった。一度、田園調布の病院で、蓄膿症の手術をしたことがある。

 

 北辰電機に入って間もなく、母から母方の祖母の死を告げられた。布団の中で、悲しくて涙が止まらなかった。小学校に入ると、毎週土曜日に母の実家へと歩いた。およそ1時間の距離だ。間もなく祖母の家の近くから通学している石井健君と友達になり、彼と一緒に山道の近道を歩いて一泊するようになった。

 

 祖母の家には、放し飼いの鶏が小屋で卵を産んでいた。祖母が、庭先の畑からネギを採り、刻んで生卵と混ぜて、ご飯にかけて食べるのが、最高のご馳走であった。父親が赤紙一枚で兵役に就くと、母は兄の手を引き、弟を背負って水戸の海軍航空基地に慰問に行った。3歳の孫の面倒を見てくれたのは、祖母だった。祖母の恩義は忘れられようがない。

 祖母の最期は哀れだった。嫁が放置して面倒を見てくれなかった。日本の家庭では、よく見られる現象であることを、母の最期でも感じさせられた。日本の女性は、老いも若きも男尊女卑に泣かされている。

 

 「木更津レイプ殺人事件」や伊藤詩織さん事件も、悪魔のような男たち・権力者らに、虐げられていることが証明している。悪人を弁護する法曹人が、人生を全うできるのであろうか。

 

 中学2年生の時、働き者の祖父が、記念にとツゲの若木10本くれた。見事な楓の植木は、とうの昔に枯れてしまったが、自宅に1本残ったツゲの大木が、昨年とうとう枯れてしまった。実家には2本残っている。それでも祖父母は、80年を超えて生きてくれた。当時では長生きした方である。

 祖母は数字が、滅法強かった。いま妹の次男が数学博士になって、教壇に立っている。遺伝は本当なのか。

 

<千葉市の通信高校教育、2年目から都立大付属(夜間部)>

 卒業時、担任の佐久間先生が「勉強を続けなさい。千葉市の高校に通信教育がある」といわれて、ハイと返事してしまった。一度だけスクーリングに参加した。担任の教師が「モズが枯れ木で鳴いている」という歌を教えてくれた。

 

 北辰に入社して驚いたことは、中卒者は一斉に夜間高校に通学したことだった。組み立て工場の先輩は、黒いボタンをつけた東京都立大学付属高校の夜間部に入っていた。さっそく1年遅れで、東横線の都立大学駅の八雲が丘の学校に4年間通って卒業した。といっても、学校では半分寝ていた。

 

 柔道部にも所属したが、時間不足で形を少し覚えただけで終わった。

 北辰本社工場の周囲は、三菱重工や日本精工、それにキャノンとは隣り合わせだった。夏目さんという年配学生はキャノン社員だった。三菱重工からの生徒は頭がよかった。

 

<みんないい先輩ばかりだった!大学2年間も夜間部>

 最初の辞令は、研究所に配属、部屋の一番奥にある、ちょっとした部品やらを作る工作機械のある職場で、見るからに優しそうな老人の手伝い仕事だった。木鉛さんという東大工学部卒のエリート技術者が、いつも優しく声をかけてくれた。

 彼は、その後に中央大学法学部の夜間部に入学した際、第二外国語の中国語の辞書を祝いに贈呈してくれた。ともかく、標準語もまともにしゃべれない田舎育ちの無学文盲の15歳児を、次の職場の工務課という現場事務の職場でも、みなさん優しくしてくれた。

 

 いやな思い出が不思議とない。長身の矢口さん、温和な堀江さん、町田さん、児玉さん、美人の山口さんとか、人柄の北辰人材ばかりだった。なかでも、長野県松本市出身の児玉さんは、高校野球でも知られた松本深高校だったと記憶している。彼は一度故郷に連れて行ってくれた。黄金週間の休みだった。 美ヶ原高原はこの時覚えた。圧巻は、白雪をいただくアルプスを見た時だった。今回ネットで北辰電機を調べ、そこにOB会の辰友会の存在を知ったからで、きっかけは児玉さんと連絡したかった、そのためである。白樺湖の衰退をYoutubeで見たことも。中曽根バブル崩壊の爪痕か。

 

 入社してしばらくすると、職場に食堂が完備していることに気付いた。朝昼夕三食とも。一番の贅沢は、納豆に生卵を混ぜ合わせた朝食である。生卵は祖母の思い出の食材だ。いまも納豆を食べている。周囲から「臭い」といわれても、止めようとはしない。

 

<横河電機に吸収合併にがっかり、北辰の羅針盤・工業計測器はNO1

 ある時、北辰電機が消えたことを知った。ライバルの横河電機に吸収されてしまった。正直、悲しかった。無学の若者を育ててくれた北辰電機を愛していた人間だったのだ。

 

 創業者は立派だったのだろうが、世襲させると、まずうまくいかない。日本政治の腐敗堕落は、同じく世襲にある。苦労知らずは、罠にはまりやすい。墓穴を掘るものである。

 

 組織は、世襲から墜落する。いい後継者を育成することが、将来を決める。北辰の創業者は、事業を世襲させた、その時に滅びの因を抱え込んでしまったことになろう。中国で生まれた羅針盤は、北辰の手で大きく羽を伸ばしたのだが、それを横河に盗られてしまった。工業計測器も。

 

 先進技術の吸収にも熱心で、筆者は米バートン社の工業圧力測定器の部品集めにも奔走した。部品名が皆ローマ字名に代わった。納期が迫ると、毎日下請けの会社に発破をかけることが少なくなかった。そういえば、これまで何度も北辰時代の夢を見た。同じ仲間がいる辰友会に相違ない。同会の物故者名に、山梨の工業高校を卒業、設計を担当していたMT君が2020年に亡くなっていたことを知った。いまも700人ほどが会員に残っているという。

 

 北辰は住友傘下、東京タイムズも住友に潰されてしまった。住友は、いま三井の傘下に隠れてしまっている。

 

<読売OB多田実先輩がびっくり、ナベツネの素行を語ってくれた>

 ナベツネの前の政治部長の多田実さん(二松学舎教授)が、母校・中央大学の機関紙を見て、ひどく誉めてくれた。筆者の曲がりくねった経歴に驚いたのだ。お陰で、亡くなる前にナベツネの素行の数々を語ってくれた。

 

 立派な人間は、なかなか頂点に立つことは出来ない。まず不可能であろう。

 参考までに多田さんは、硫黄島の熾烈な闘いに学徒出陣した生き残りである。「木更津レイプ殺人事件」の被害者の戦争遺児の父親も、米軍の制空権下、輸送船を米軍攻撃を受けて、船もろとも海中に沈んでしまった。戦争遺児を殺したのも、戦争だった。

 

 父の弟は、同じ船に乗っていて、運よく助かって戦後を生きた。父も無事に帰還してくれたため、4人の子供は生きながらえることが出来た。最後に言いたい!安倍や高市らの罠にかかることは、断じてあってはならない。肝に命じるべきである。

 15歳の春は、もう二度と訪れることはない!

2022年1月30日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

2021年2月13日 (土)

深刻な米経済<本澤二郎の「日本の風景」(3993)

深刻な米経済<本澤二郎の「日本の風景」(3993)

FRB議長の「失業率は10%近い」の衝撃分析>

【ワシントン時事】米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は10日、新型コロナウイルス危機を受けて実際の米失業率は10%近くに悪化していると懸念を示した上で、「金融緩和を忍耐強く続けることが重要だ」と、景気下支え策の維持を明言した。オンラインでのイベントで語った。

(アメリカ南部テキサス州で11日、およそ130台の車が絡む多重衝突事故があり、6人が死亡、65人がけがをしました

 

 今朝ほどのテレビは、2月11日の米保守地盤で知られるテキサス州で、130台もの車がからむ事故が発生したと報じた。単なる凍結が原因なのか?

 

 また、FRB議長が「米国の失業率は10%近い」との厳しい数字を明かして、経済専門家を驚かせた。トランプ+コロナ=10%失業率を一般人は、どういうことか、具体的に理解できないだろう。

 

 筆者は1993年3月、1か月かけて米国全土を取材旅行を敢行し、それを「アメリカの大警告」(データハウス)として上梓した。レーガンの米ソ核軍拡競争で疲弊しきったアメリカの現状を見聞、まとめたもので、そのころ日本では、小沢一郎や読売新聞が、改憲に向けての小選挙区制を導入に突進、軍国主義に舵を切ろうとしていた。

 

 その真犯人を、ワシントンなどで見つけようとした取材旅行だった。昨日、書棚から取り出して開いて見たが、われながらよく書けている。戦後のアメリカ事情に、突出して詳しかった宮澤喜一が絶賛してくれた本である。アメリカン・リベラルのクリントン大統領が、政権を発足させた直後のことで、実にタイミングが良かった時機だった。

 

<平均7%失業のアメリカ訪問で目撃した厳しい現状に愕然>

 米国が誇る、フランス人が設計した見事な首都・ワシントンDCの大統領府・ホワイトハウス前には、住宅を失ったホームレスが群れていた。弱者の抵抗であろう。日本のホームレスは、どこに追いやられているのか、気にはなる。 

 早朝に時差ボケを解消しようとしてホテル近くを散策していると、突然、190センチもあろう長身の黒人が前を遮った。両手に缶詰めの空を差し出した。

 物乞いする黒人青年だった。びっくりして、心が凍るほどだったことを、今も忘れない。

 

 路上のほとんどが割れていて、雨が降ると、走り去る車が水しぶきを上げて、歩行者を泣かせていた。世界に冠たる軍事・経済大国も、その片鱗も見せていなかった。帝国が崩壊する過程を、しみじみと味わった。

 

 レーガン軍拡で、軍需産業が幅を利かせていた、西岸のカルフォルニア州の失業率は、抜きん出ていて9%だった。アメリカを代表して、優雅な生活を送っていた多くのエリートたちが、仕事を失って、精神にも重い異常をきたしていた。

 中産階級から没落する人たちを調査している関係者の話を聞くと、その深刻さは耐えられない辛いものだった。「突然、仕事が無くなった高級エンジニアは、そのことを妻に言うことが出来ない。時間になると、家を出て夕刻に帰るものだから、家族は夫の失業を知らない。知らせられない夫の精神は、破壊してしまっている」というような内容だった。

 

 中曽根バブル崩壊後の日本でも、そして現在、世界恐慌とコロナの中で電通五輪に熱中する菅・自公内閣の下で、同じような悲劇が起きていることを考えると、清和会政治とりわけ戦争法制強行に明け暮れ、財閥1%優遇の安倍軍拡内閣、それを補完した公明党創価学会の罪は、万死に値しよう。

 

 現在、ワシントンのバイデン政権が、五輪にうつつを抜かせる状態にない。選手と観客の安全が確保できるのか、それを科学的に判断したうえで、と菅の電通五輪を突き放している。しかも、共和党右翼・トランプのワシントンに徹底して底入れしてきた東京に対して、民主党政権は違和感を抱いていることも、重要な要素である。

 

 米民主党リベラルは、日本の軍国主義・国家主義を嫌う。改憲軍拡に興味を示さないことも、いい加減すぎたトランプ利権政治と異なる。日本の新聞テレビの危うさは、民主党リベラルについて不勉強すぎる。

 

 クリントン政権は、大掛かりな軍縮を断行した。基地の閉鎖も強行した。軍のスリム化も必死でやりぬいた。クリントンの女性問題は、その反対給付となったが、彼はおおむねアメリカ経済を立て直して、2期8年をワシントンで過ごすことが出来た。

 

 アメリカン民主主義は、トランプの4年の間、痛めつけられたが、徐々に回復すると見たい。バーニー・サンダースの大統領候補の善戦が裏付けている。

 

<2029年に中米GDP逆転説は絵空事とはいえない>

 国際社会は、世界的な恐慌下にコロナ襲来が加わって、深く傷ついて、その挙句に責任を他国に押し付けて、対立するという愚かな潮流に巻き込まれている。

 

 その図面を、日本会議の安倍が、外交音痴のトランプに押し付け、それが今も生き残っている。中国包囲網による台湾防衛である。英独までインド太平洋に艦艇を向けてきている。清朝末期の8か国連合軍の襲撃を想起させるものだが、腐敗しきった清朝と、腐敗退治の今の中国は、大きく異なる。

 

 アメリカのシンクタンクの中にも「封じ込めは、骨折り損のくたびれ儲け」との研究もなされている。台湾の学者でさえも。中国は日本にとってのみならず、かけがえのない貿易相手国である。世界の消費市場の地位は、実績から見ると、揺らいでいない。コロナを事実上、克服している中国を、経済専門家は注目している。

 

 確かに、欧米日本などと比較すると、14億人をコロナから守っている事実は、驚異的であろう。現に、経済成長は止まっていない。脱酸素社会への切り替えも、素早い。体制の強みは、しかし、裏返すと弱みでもある。香港問題や南沙諸島問題などを、外交力でどう処理するか、外交力が試されている。

 

 2029年にGDPで、アメリカを越える可能性を、否定は出来ないだろう。コロナ被害は、欧米により厳しいものになっている。宇都宮徳馬ではないが、日本は「アジアに立つ」(講談社)しかないだろう。

 バイデン政権の4年のかじ取りは、クリントンのそれよりも大きな力を必要とするだろう。株バブルの破裂に落ち込む危険は、日米ともである。安倍とトランプの治世は、両国の土台をとことん、突き崩したもので、全く評価できない。

2021年2月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

2020年7月23日 (木)

無知は犯罪<本澤二郎の「日本の風景」(3793)

無知は犯罪<本澤二郎の「日本の風景」(3793)

<「無知の知」から一歩踏み込むと「無知は犯罪」>

 10数年前になる。次男の介護のため、体力維持の必要性から、妻にジム通いを勧められた。そこで物知り博士のような人物に出会った。彼は311の放射能問題だけでなく、官邸や信濃町の秘事にも明るかった。官邸と財閥の一体化政策などなど、官邸と自民党本部を20年余、さ迷い歩き続けてきたジャーナリストも形無しだった。

 そして彼の一言が「無知は犯罪」という捨て台詞だった。

 

 現在、詮索もしなかった広告代理店という、その実、言論弾圧し放題、権力を壟断して止まない大魔神、すなわち電通の正体を、1か月ほど前になって認知した。

 テレビ記者にとって常識のはずだったろうが、しかし、新聞記者は知らなかった。経済部記者は知っていたろう。

 

 次男正文の東芝病院での医療事故死に対して、即座に捜査をしなかった警視庁、財閥病院刑事告訴も報道しなかった大半の新聞テレビ、さらに、もう10年も経つのに反省も謝罪もしない財閥・三井住友傘下の東芝の、分厚い防護壁が電通だった。いま知ったばかりである。確かに「無知は犯罪」なのだ。

 

<憲法を知らない人間の改憲論は論外>

 白川勝彦のことを思い出す。彼は政界入りすると、出版したばかりの「憲法代議士」をくれた。政治家の本を読む人間は少ない。特にジャーナリストはそうである。

 大分経ってからだが、自民党内の右翼議員の改憲論について、憲法代議士の感想を求めた。

 「改憲?まずは憲法を定着させることが先決」と言い切った。正論である。二の句が継げなかった。

 幸い、バイト学生も法学部に籍を置いていたお陰で、憲法はある程度は読んでいた。小泉純一郎や安倍晋三は法学部ではないから、憲法を読んでいない。知らないはずだ。知らないから、二人は靖国参拝を強行した。政教分離の憲法を知らないか無視したのである。

 

 宏池会は護憲リベラルが伝統の派閥である。それでも、自治省出身から政界入りした政治家は「我が派にも憲法を知らないものが多い」と打ち明けられた時は、さすがに仰天してしまった。有能な政治家はいない。金で蠢く輩が大半なのだ。

 

 筆者に面と向かって「自分は改憲派」と正直に打ち明けてくれた人物が二人いた。鳩山邦夫と谷垣禎一である。推測するに、鳩山の資金源はブリジストンだ。ブリジストンのタイヤが、自衛隊の装甲車に使われている現場を確認して納得した。

 

 谷垣は、派閥維持に財閥の金が欲しくなって、改憲論に宗旨替えしたものであろう。改憲派は、財閥の金欲しさに口走っている輩が少なくない。

 

 大学の教壇に立ってみて、憲法知らずの日本人を確認することが出来た。6年の間、女子大生と普通の大学だったが、彼ら彼女の多くが憲法9条を理解していなかった。衝撃を受けてしまった。朝鮮半島36年間、台湾50年間の植民地支配を知る学生はいなかった。中学・高校では、負の歴史を教えていないことが確認できた。

 

 安倍・自公・日本会議の政権下、偏狭ナショナリズムが跋扈する土壌が見えてくるだろう。

 油断すると、日中・日韓の軍事的衝突も起きるかもしれない。東アジアは波高し、危うい。

 

<国家主義も国粋主義も知らない国民が多い>

 戦前の侵略国家の日本は、国家主義ないしは天皇制国家主義、国粋主義というおぞましい政治体制だった。日本国憲法は全面的に排除したが、現在の安倍・自公・日本会議の政府は、国民を、文句なしの国家主義に引きずり込んでいる。

 

 そこでは、国民のため、という民主主義の原理は事実上、排除されている。財閥のための政治である。新聞テレビは真実を報道できない。しない。電通大魔神の威力に屈している。政府批判者は、新聞テレビから排除されている。

 

 興味深い事例として米高級紙・NYTの香港支局が、ソウルに移転して、東京を回避した。電通支配のマスコミを知っているのであろう。

 

<検察官適格審査会を知らない日本国民>

 主権者である国民は言うに及ばず、三権の長も逮捕・拘束できる権限を有している検事・検察、彼らに恐怖を抱いていた安倍や菅、二階は、検事総長が稲田から林に代わったことで、安堵している。昨夜は銀座で大宴会という。

 

 素人には、この深刻重大なことさえも理解できていない。

 生殺与奪の独占的権力に、霞が関の官僚も、永田町の国会議員も、狙われたら、まず人生おしまいである。ことほど検事の権限は強力である。

 

 検察国家になると、これまた深刻な政治不安を招く。そこで検察庁法は、いかがわしい検事を抑制する装置を設けて、検察の暴走に歯止めを賭けている。それが検察官適格審査会である。

 

 検事にとって、ここに掛けられると、致命的なダメージを受ける。法務検察にとって、幸いなことにこの制度について、国民の多数は知らない。したがって、検察官適格審査会に掛けられた検事は、いまだ10数人でしかないようだ。

 

 新聞テレビも報道しないため、余計に国民は気づいていない。まさに「無知は犯罪」なのである。

 息子の東芝医療事故死事件について、東京地検の松本朗は東芝関係者を不起訴にした。検察審査会も被害者の言い分を聞かないまま、松本朗の処置を追認した。これこそ、検察官適格審査会に掛けなければならなかったのだが、当時、この制度さえも知らなかった。

 

 最近になって、検事総長・吉永をここに提起した人物に教えられて、大いに合点した。彼は黒川弘務レベルの新検事総長の林真琴を、ここに掛けるという。大賛成してブログに発信すると、数千人以上がアクセスしてくれた。

 

 黒川を不起訴にした、菅原一秀も不起訴にした、安倍1・5億円の河井事件の本丸である証拠固めは、自民党本部と安倍事務所の家宅捜索で決まるが、それも手抜きした林検察も、黒川と変わらない。

 

 新聞テレビがお粗末すぎるため、このことさえ理解しない市民が少なくない。

 例の桜事件は、ホテルニューオータニの家宅捜索で、確たる証拠がとれる。それでも逃げた林も、前の稲田ともに、国民を裏切った逆賊検事であろう。韓国の検察の足元にも及ばない。

 

 国民の信頼を裏切った現在の法務検察、その頂点に立つ林を検察官適格審査会に掛ける国民運動が起きれば、日本は変わる可能性が出てくる。正義が死んでしまった検察再生には、これしかないだろう。晴耕雨読人間もそう判断できるのだが。

2020年7月23日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

2020年7月22日 (水)

河川氾濫・土砂崩れは自公人災<本澤二郎の「日本の風景」(3792)

河川氾濫・土砂崩れは自公人災<本澤二郎の「日本の風景」(3792)

<鍬もて・自然との共生人間の目を誤魔化せない>

 自然は正義人間を育んでくれる、自然と正義在っての人間社会だ。このサイクルを壊すと、自然は怒り出す。311の東電福島原発は人災である。同じく最近の九州豪雨による河川の氾濫・土砂崩れは、典型的な自公人災である。

 

 治山治水は、為政者の基本政策で、特に地震大国では一瞬の油断もできない。安倍・自公・日本会議の政府は、このことを疎かにしてきた。自然との共生を忘れてしまい、武器弾薬のことに熱中し過ぎてきた。

 

 鍬をもって、土を掘り起こしていると、中央の悪政が容赦なく目に焼き付く。そこから発する主張に対して、最近、信州のソプラノ歌手が同意、毎日のように感想を寄せてくれる。本日は、美しい声の持ち主の、韓国・平和訪問のURLを貼り付けることにした。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-192.html

 

 

<安倍・自公を操るアヘン王の電通大魔神を見つけた!>

 わがジャーナリスト人生において、今回はっきりと暴政の根源である大魔神を見つけることが出来た。犯人は国賊・電通である。

 

 電通に屈するテレビは、テレビCMのほとんどが電通経由という特殊な事情から、容易に納得できたが、新聞雑誌もまた電通に歯が立たない。産経新聞テレビグループに次いで、読売新聞テレビもこれに屈服した。

 

 電通は財閥と一体関係にある。経済新聞の日経新聞テレビも。しからば、毎日・朝日・東京が電通を叩けるかというと、全くそうではない。

 

 かくして電通の正体は、戦前戦後秘匿されてきて、コロナを迎えた。そして遂に、大魔神が見えてきた。血税予算に、公然と手を突っ込んでいたのだ。太陽のコロナが、電通の闇を隅々まで照らし出してくれた。

 

 アヘン王の里見甫が支配した電通は、今も獰猛な牙で、新聞テレビから政府・民衆にも襲い掛かって、五輪のJOCはおろかIOCまで操って、人類人々に災いをもたらしている。

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 筆者には、大自然の力が手伝って暴き出してくれた。反省謝罪なしの次男の東芝医療事故問題が側面から援護射撃してくれた。2010年から、きりきり舞いさせられてきたジャーナリストは、東芝救済の真犯人・電通を、とうとう捕獲することが出来た。涙と歓喜の瞬間を、大自然の中で知ることが出来た。

 「正文よ!ありがとう」の心境である。

 

<大自然の恵み=茗荷を刻んで納豆に混ぜ、玄米食で満腹>

 梅雨の長雨から開放された2020年7月21日、この季節の珍味・ミョウガを見つけた。養殖ではない。本物の正真正銘の茗荷である。

 

 さっそくまな板の上で刻んだ。醤油をかけてもいいが、大好きな納豆に混ぜて食べた。最高の贅沢である。ご飯は健康食の玄米食だ。

 まだある。新鮮そのものの、庭先のキウリに青じそを巻いた。これにミソをつけて、カリカリと音を立てて食べた。これまた旬の食べ物である。無農薬である。しばしの昼寝としゃれこんだ。

 

<庶民の営み=無農薬キウリ・茄子・ピーマン・ミニトマト・フキ>

 わが家庭菜園には、茄子もピーマンもある。ミニトマトも梅雨を跳ね返して、赤い実をたわわに実らせてくれて、この上なく主人を満足させてくれる。

 

 大玉のトマトは、雨に弱い。病気になって腐るので、早めに廃棄するしかない。しかし、ミニトマトはその心配が要らない。生姜作りは、雑草に負けて失敗した。

 まだフキも食べている。梅雨時のフキは、そんなに固くない。熱を加えれば、これまた苦みのあるおいしい料理になる。繊維食品の代表である。

 

<均衡欠き過ぎて墓穴を掘ったアヘン密売の電通・大魔神>

 何事もバランス・均衡が肝要である。食事に限らない。広告代理店の看板も、血税に手を突っ込んで暴利をむさぼり、言論弾圧に特化する電通を許しては、この世は真っ暗闇である。

 

 権力にまとわりついて、血税にも手を出すという恐ろしい悪魔ビジネスを、主権者は決して許さない。アヘンに手を出すような人物が支配した電通を、このまま放置することはできない。議会は国賊を徹底追及する義務がある。

 

 東芝医療事故死を封じ込めた電通の犯人は、誰なのか。生涯かけても知りたい。次男の無念を晴らしたい。父親の義務なのだ。

2020年7月22日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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