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2025年9月12日 (金)

本澤二郎の「日本の風景」(5642)

本澤二郎の「日本の風景」(5642)

<「南京に立つ」22>

石破退陣を受けて次期自民党総裁候補に対して、早くも北京・ソウルから懸念する声が浮上している。国内世論どころか国際世論までが、次期総裁に異例な発言が飛び出している。「アジアに異変」を察知する事情について、筆者も重ねて警鐘を鳴らしてきた。改憲軍拡原発推進派の、不気味な日本会議による好戦的な内外政策が、隣国との関係悪化を予見させるからである。

 

自民党内がカルト神道(神道政治連盟)によって汚染され、それが国民のための政策と根本的に乖離することが想定できる。

以前の日本では、有能な官僚がしっかりとかじ取り役を任じ、過ちを事前に食い止めることができた。そうした実績について、護憲リベラル派の首相は「日本の官僚は優秀だよ」(大平正芳首相)と口走っていたほどだ。

いまは官僚も政治屋も腐りきって「利権あさり」に余念がない。金がないのに安倍晋三は60兆円、岸田文雄でも30兆円を海外にばらまいてきた。それがすべて後世に天文学的借金となって、天高く積みあがっている。円の価値が下がり続けて、物価の高騰を10余年も!驚くべき悪政である。

歴史の教訓を学んでいない国会議員は、後世にツケを回す予算を手柄にする悪徳政党・政治屋の集団といっていい。小選挙区制の無様すぎる実績に、彼らは今も突進している。その中核をカルト宗教が握っている!

 

<伊原五郎教授(八街市)の心情に感動>

「百聞は一見に如かず」と誰もがわかっているが、現実はそう単純なものではない。善良な学者ほど悩み・苦痛が伴う。躊躇したくなるものだ。

確か八街市の千葉大学教授の伊原五郎さんは、人生の大半を中国を侵略した日本軍の蛮行を回避しながら生きてきた。しかし、いつの日か行って会ってみよう、との思いに駆られるものだ。

戦後50年の1995年8月、筆者が計画した「南京研修」に伊原教授が立ち上がってくれた。

「朝日新聞の記事を見て決断した」のである。正直なところ、今朝初めて教授の思いを知って、素晴らしい日本人学者の存在に頭が下がってしまった。

 

<英大学セミナーの帰路、書店で見た衝撃の「日本帝国の興亡」>

「思えばこれまで、何度となく海外の研修旅行に出掛けながら、中国を訪ねたのは今回が初めてである」「中国は最も近い距離にありながら、わたしはこれまで中国訪問に抵抗を感じてきた」。どうしてか?

英大学のセミナーに参加した帰路、古都バースに立ち寄った。そこの書店で「日本帝国の興亡」という香港で出版された写真集が目に止まった。

手に取って開いた。「一瞬、息をのみ、思わず本を閉じると、全身から血の気が退いていった」。教授を追い込んだ写真は?

「そこには、神妙に座している中国人に振りかざした日本刀を、いまにも振り下ろそうとしている日本兵の姿と、無残に切り落とされた中国人のさらし首があった。私はその場にいたたまれず、逃げるように夢中で外に出た」

「日本兵の残忍さをこれほど痛烈に見せつけられることはなかった。以来、加害者の血を引く日本人の一人として、深くいやしがたい良心のうずきが、潜在意識の中で絶えずわたしを脅かし続けてきたのである」「そのため、中国の大地に立つことへのためらいを断ち切ることが出来ないできた」

 

善良な日本人学者の伊原さんを上海・南京・盧溝橋は快く迎え入れてくれた。

 

<木更津市から南京渡洋爆撃は昭和12年8月15日>

誰も教えてくれなかった昭和12年8月15日に鹿児島県加屋航空隊と木更津航空隊の統合からなる第一連合航空隊の南京空爆!なんということか、木更津基地も南京の人たちを殺戮していたとは!

 

しかも、岸田内閣の防衛庁長官に就任した浜田靖一を、木更津市民が投票していた!その中に公明党創価学会員も含まれていた!恐ろしい房総半島であろうか!週刊文春が浜田のやくざ暴力団との集合写真を大きく報道しなければ、悪党の任期はもっと長く続いたことになる。

 

思えば、岸田の大先輩の大平首相は、150万ドルとばく事件の浜田幸一を離党させたが、岸田はせがれを入閣、それも武器弾薬を扱う最高地位につけていた。その岸田に極右の高市早苗が、石破の後継に出ると挨拶していた。どういうことか!危うし日本を象徴していることが、素人でも理解できるだろう。

岸田の祖父は、満洲国傀儡政権でアヘン利権に手を出していた岸信介の配下として、暴利を得ていたことが判明している。帰化人脈がこの国を動かしているのである。

 

<南京大屠殺遇難同胞記念館に驚愕した伊原教授>

「大屠殺とは、中国人を人間としてではなく、まるで豚や牛のごとく殺戮した日本兵の鬼畜行為を、館内のどのような展示資料にも増して、生々しく語っているように思われた」。

この大屠殺に印象付けられた参加者は、戦争遺児の影山友子さんも同じ感想を述べていた。ヒロヒトの日本軍の正体をさらして余りあろう。事実上、国家神道に復活した神社本庁は、依然として学徒ら300万人の死や数千万人の外国人被害者に対して、反省も謝罪もしていない!自民党は国民政党ではない!

2025年9月12日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)

暴力団が手軽な犯罪に手を染めているとフライデー  短く刈り込まれた頭髪。両腕には手首までびっしりと刺青が彫られており、それをまるで誇示するように風を切って歩く。コロナ感染、風邪感染防止のために装着しているマスクも、わざわざ口の下までずらし顔を全て晒して睨みを利かせる男──。

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