本澤二郎の「日本の風景」(5251)
本澤二郎の「日本の風景」(5251)
<戦中秘話=袖ヶ浦市林・幽谷の御園家に東京帝大経済学部エリート100人(敗戦の前年)=若槻礼次郎の戦後復興人材>
袖ヶ浦市の林・高谷地区の核汚染ごみ事件や日高金属の銅線洗浄液(水銀)の垂れ流し事件など、房総半島の風光明媚な水源地が、地獄さながらの公害の基地になっている。この3年有余、度肝を抜かれるような日々にうんざりしているのだが、そこに戦中秘話が眠っていた!
駆け出しの政治記者時代に元労相・千葉三郎の敗戦時の秘話に驚かされたが、それは天皇ヒロヒトのポツダム宣言受諾に反発した右翼の近衛兵が、鈴木貫太郎邸に押しかけ、間一髪鈴木は隣家の千葉三郎の家に隠れて暗殺を逃れた。
本日の秘話は、共にやくざ暴力団を相手に闘いの駒を進めている御園豊の家にまつわる敗戦前年・1944年(昭和19年)の、戦後日本が生き延びるための秘策が存在したという、これまた度肝を抜かれる秘話である。
「うちのひい爺さんの弟が、大正末期に二度首相になった若槻礼次郎と懇意だった。二人の話し合いから敗戦後の日本復興を担う人材を確保しなければならないということで、当時の東京帝国大学の経済学部の学生100人を選抜し、彼らを学徒免除して、どこかに隠そうということになった。その結果、房総半島の袖ヶ浦の幽谷の地の我が家が選ばれた。当時、学生が使っていたランプが記念に居間に飾ってある」という御園の説明に驚きながら、名前しか知らない若槻礼次郎のことを調べてみた。
確かに人間は機会さえあれば、誰でも首相を務めることが出来る。安倍晋三・菅義偉・岸田文雄を観察すれば理解できるだろう。ただし、若槻は違った。
父は松江藩の足軽。腰に木刀を差して寺子屋に通った。貧乏だったが勉強が好きだった。苦学に屈せず、帝大法科(東京帝国大学法科)を首席で卒業し、大蔵省に入って、主税局長・大蔵事務次官を歴任して政界入りした。秀才・能吏・理想家・平和主義者であった。宮澤喜一のような人だった。
ロンドン海軍軍縮会議の首席全権も歴任している。今で言う財政法4条の体現者だ。極右戦争派・財閥が最も嫌う政治家だった。日米開戦反対派としても有名だ。今の財務省には、若槻が一人もいない。御園が秘書として仕えた水田三喜男さえもいない。水田は平和軍縮派の宇都宮徳馬の旧制水戸高、京都帝大の仲間だ。京大時代は共に天皇制批判で逮捕までされている反軍派だ。
いまの共産党や立憲民主党にも、若槻や水田、宇都宮がいないことに驚く。核武装派の麻生太郎の仲間は、防衛省内にもいる。台湾有事を現実化させようとする危険な人物が、自民党や維新に沢山いると聞く。
日米開戦から2年後の1994年の時点で、日本敗戦は政治の中枢で分かっていた。ずるずると敗戦を引き延ばすヒロヒトは金かくしに熱中していたものか。若槻は優秀な戦後復興の人材隠しに余念がなかった。彼が東条戦争内閣倒閣に突進し、ポツダム宣言受諾に狂奔して当然だった。
<吉田茂の戦後復興の第一線で活躍=経済の高度成長の主役>
吉田茂の平和憲法制定と焦土と化した戦後復興は、点数をつけるとすれば100点満点であろう。当時の天皇制国家主義の下での人々の自由をしばりつけた神がかり国家神道の恐怖を知れば、ヒロヒトの罪はあまりにも重すぎる。
平和憲法を手にしながら、ワシントンの操り人形となった今については、言論界や識者・主権者にも非がある。敗戦後もA級戦犯勢力の岸信介の勢力を受け入れた神道勢力と保守的な国民に問題がある。
他方、吉田の経済復興の局面で、100人の戦争被害を無事に回避した20代の人材が大活躍出来たことは、高度経済成長下に相応の貢献をしたであろう。その資料が今手元にない。次回に紹介する。
<核汚染ごみ埋設の陣場台で炭焼き・東京大空襲を目撃した戦後復興の第一人者ら>
「100人の学生のうち、我が家では20人が寝起きして山小屋生活を送った。その当時の茶器などが遺品として、現在も小屋に眠っている。80人は平岡地区の農家で水田耕作に携わった。うちの先祖が若槻と親しかったことと、ここが東京と近かったことが隠れ家として最適だったのでしょう」と語る現在の主。
核汚染ごみが大量に不法投棄された問題の陣場台では、20人の学生が炭焼きをしながら苦楽を共にしていた。生きていればもう100歳だろう。彼らがそこから西方を眺めていると、天を焦がす東京大空襲が目の前に迫り、心が凍りついたであろう。
御園家では、戦前戦後は炭焼きのための樹木を植えていた。半年ほど前にここで伐採したクヌギはシイタケ用だが、311の影響で房総半島のシイタケ用木材は、静岡方面から移入している。
<戦後復興人材の地が現在核汚染ごみの因果に泣く>
平和主義者・若槻礼次郎は、敗戦後4年後に亡くなっている。今の陣場台・幽谷の地が311東電フクシマの核汚染ごみの不法投棄で、地元の住民は怒り泣いている様子を泉下でどう嘆いているのであろうか。
こんな因果があっていいわけがない。断じて許せない。人間社会ではありえない。悪魔に住み着かれたものか。
<昔の財界人には戦争NOの真っ当な経済人がいた!>
戦争を知る政治家や経済界の人たちは、みな真っ当な護憲リベラル派の人たちばかりだった。いまは姿を消していない。43兆円の血税で武器弾薬を製造することに狂奔している。
どういうことか。
この世に真のジャーナリストはいないのか。みな宇都宮徳馬を裏切った「忘恩の徒」ばかりなのか。恥を知る人間がいない!
房総半島をやくざ暴力団の巣にして満足する悪党ばかりなのか。
2024年8月11日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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