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2024年8月15日 (木)

本澤二郎の「日本の風景」(5255)

本澤二郎の「日本の風景」(5255)

<岸田文雄の小賢しい狂い過ぎた大義なしの退陣表明>

「A級戦犯勢力の岸・安倍路線」を踏襲・強行した岸田が、突然、任期満了の9月で退陣すると敗戦記念日の前日に表明して、自民党内を驚かせた。何かが変わるのか、起きるのか?何も変わらない。看板を変えても極右化した自民党、戦争準備に突進する財閥好みの自公体制は変わらない。

 

岸田は、堂々と国民に信を問う勇気がなかった。いわんや野党に政権を投げ出すことも。ワシントンの盟友・ジョーに自らも従った。直前に知らせてもいた。小賢しい「肩書き欲しさ」の信念のない世襲政治屋に過ぎなかった。

 

<43兆円の戦争準備と全国民博徒化と完璧な監視社会>

彼の言う政治屋の意地とは、倅が傷つくことを回避することだけだった!ヒロシマという歴史的な地の利さえ生かせなかった。それどころか真逆の、43兆円の戦争準備をワシントンに発信し、バイデンを感動させて、それに酔って幕引きをした史上最悪の為政者に終始した。

戦争準備と完璧な管理・監視社会を構築するという戦争体制構築を突き出させる内閣だった。日本経済対策は、アベノミクスをなぞるかのような株ギャンブルを全国民に押し付けるだけだった。判断力ゼロの岸田だった。

 

報道によると、決断のタイミングを記者団に問われると、外交・内政の懸案に一定のメドをつける必要があったと答え、「今後の方向性をしっかり示す。これだけはやった上で不出馬表明をしたいと強く思ってきた。政治家の意地だ」と強調した。

 

<護憲リベラルの宏池会理念をどぶに捨て自民党極右化に貢献>

自民党の長期政権の理由は、権力維持のために戦前派の岸信介の右翼勢力と、戦後派の吉田茂自由党が合同することで、双方の均衡を図りながらかじ取りすることで国民の支持を得てきた。それが森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三という極右・清和会が政権のたらい回しをする中で、完璧ともいえる形で右翼片肺内閣が存続、岸田も宏池会の護憲リベラル派の政治理想を放棄する、安倍に背乗りして政権を維持してきた。それが安保3文書であり、43兆円の戦争準備という憲法に違反する蛮行の数々を強行して、平和を欲する多数の国民の支持を失ってしまった。

 

<極右片肺内閣で国民生活は高物価で二の次・財閥株屋中心>

安倍晋三が強行したアベノミクスなる経済政策は、財閥・株屋のために特化したものだ。その結果、財閥の内部留保資金は600兆円かそれ以上と言われる。他方、国民生活は超円安による物価の急騰で、その困窮もひどい。最近では米の高騰も追い打ちをかけている。農林中金の沈没による食料品高騰が、国民の命を削いでいる。

右翼片肺内閣の特徴は、持てる側に特化した財閥傀儡政権だ。国民生活を顧みるという政治はほとんどない。国民の怒りは天を衝く勢いだ。人々は政治の転換を求めている。その場面で岸田は、さっさと舞台から降り、無責任の権化と化した。財政破綻の深刻すぎる状態は継続したままである。

 

<護憲リベラル派・反安倍の林芳正の動向注視>

国民は、自民党の次の新総裁による総選挙で厳しい審判をすることになる。ずる賢い右翼候補者ばかりで、国民に軸足を置いた人材はいない。

国民は官房長官の林芳正の動向に注目している。彼は反安倍の急先鋒で知られる。宏池会の護憲リベラルの旗手だ。石破が訪台して清和会に電波を送ってなびいているが、みっともない好戦派だ。安倍側近・日本会議の極右女など話しにならない。裏で糸を引く森・菅義偉・二階・麻生といった苔の生えた老人の暗躍は、時代遅れもいいところだ。今の自民党に人材はいない。

 

<水田三喜男・池田淳・水野清秘書だった御園豊の怒りの評価>

田中内閣のころ、自民党は20日間の洋上大学を開催して、自民党の若手党員を教育した。その体験が目下、核汚染ごみや水銀問題などで大揺れの、房総半島袖ヶ浦市で活躍する御園豊も参加した。「水田大蔵大臣にいわれて参加した」という彼は「拡散も飛行機で参加して講演した。そこで学んだことは、政治家のみならず人間は、何よりも情熱・責任・判断力・実行力が大事だと教えられた。洋上大学の後、政治大学校でも。今回の岸田について言えることは、判断力が全くなかったことだ。もっと早く辞めるべきだった。日本国憲法に違反しての改憲軍拡は論外。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを全く認識していない。同じ宏池会の水を飲んだ者として恥ずかしい。二世・世襲政治家はこの4原則のない者ばかりだ」と指摘した。「恥を知れと言いたい」とも酷評した。

 

<渡辺恒雄に服従したサラリーマン世襲議員の哀れ>

恩師・宇都宮徳馬は泉下で、左翼から右翼に転向した読売改憲軍拡新聞の渡辺恒雄を「忘恩の徒」と評していたが、岸田文雄はこのナベツネの改憲軍拡論に服従してワシントンのポチを演じた。この点で宮澤喜一と真逆の対応をした。

言論を武器にして、サラリーマン二世を操ったツネの手口は許しがたいことだが、それに屈した岸田は、天に唾するような哀れな政治屋でしかなかった。敗戦の教訓を学べ、といいたい。武器弾薬で幸せは手にできない。

2024年8月15日記(茅野村の仙人・日本記

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