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2024年4月26日 (金)

本澤二郎の「日本の風景」(5146)

本澤二郎の「日本の風景」(5146)

<壊れた平和!どこへ行く暴走する自衛隊=怖い戦前回帰>

43兆円・巡航ミサイルと台湾有事大合唱の安倍・清和会政治に追随する右翼メディアの戦争報道に「平和が消えた」と人々は青くなっている。武器弾薬に化ける銅線がべらぼうに高くなったことを、やくざが跋扈する房総半島の袖ヶ浦市林地区(日高金属事件)でも気付かされた。この不況下に日本財閥工場(軍需産業)は、うなりを上げている現実を新聞は報道しない。

 

連動して武器弾薬を使用する自衛隊・防衛省も、途方もない「戦前回帰」に突っ込んでいることが判明してきた。隊内では戦前の侵略戦争の用語が飛びかっている!そのことを首相も防衛大臣も意に介そうとしない。むしろ、推奨していると市民は受け止めている。

 

歴史の教訓から「二度と戦争しない、させない平和憲法」を軽視する輩が、言論界にも出てきている。政情は危うい日本から、危なくなった日本に移行している。主権者を管理する悪しき政策が、女性閣僚によって具体化、実現している岸田内閣。日本の軍国化にワシントンは感激して、愚かな首相を歓待したばかりだ。非戦の憲法をドブに捨てている日本政府は、まさにヒトラーの手口そのものであろう。

 

<飛び出す「大東亜戦争」「近衛兵」など侵略戦争肯定>

冒頭の記述は、小説ではない。事実を指摘したものである。(この項の文章が一瞬で消えた。AIの仕業なのか。いつものことながら衝撃。グーグルも言論の自由の大敵・グルなのか)武器弾薬を手にする現場も変質していた。神道カルトゆえか。日本を「神の国と信じる」、途方もない狂気の信者集団の清和会政治(森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三)の成果であろう。

 

戦前の日本そのものか。「神の国」カルト信者の清和会は崩壊したが、清和会に乗り移った宏池会の岸田文雄のもとで、見事に生きている。護憲リベラルを完全に放棄した岸田内閣に驚愕する主権者は少なくない。

防衛大学校の教育の正体が、いま表面化している。「大東亜戦争」と口走る国家主義者で、渡辺恒雄の盟友・中曽根康弘の口から直接きいたことがあるが、いまや一般の自衛隊員がそのことを使用している。「近衛兵」も。精神が戦前の軍隊と戦後の自衛隊は同じになっていた。

戦争厳禁の9条を放棄した自衛隊に変質してしまっているのか。もはや単なる杞憂ではない。防衛大学校を視察した時、校内の書店にまともな護憲リベラルの書物が全くなかったことが気になっていたが、実際は「戦争する軍隊」教育に徹していたことになる。

 

<靖国・戦争神社参拝で気勢上げる狂気の自衛隊>

靖国神社には、赤紙一枚で天皇の戦争に狩り出され、命を亡くした悲劇の若者やA級戦犯も合祀されている。世界から戦争神社として恐れられている。各国の要人の参拝はない。ワシントンの要人も千鳥ヶ淵の墓苑に行く。

だが、安倍・清和会の裏金問題のさ中に自衛隊幹部らが、公然と集団参拝をしていた。木原稔というがちがちの軍拡派大臣は、事実上黙認している。憲法も自衛隊法も生きてはいない!

国民の目には「いつでも戦場で命を捨ててやる」との開き直りと映る。自衛隊の最高指揮官である岸田は、この自衛隊の第暴走に沈黙している。恐ろしい政府に涙が出てくる。

 

<自衛隊基地目撃談=司令官室に神棚・基地内に神社>

もう10年前かそれ以上まえのことである。自衛隊の基地視察をした時に一番驚いたことは、戦前がそっくり存在していたことだった。そこの基地は山口県。岸や安倍の故郷、明治の山県有朋や右翼が大好きな吉田松陰の地元の基地だった。

彼らはこの時とばかりに自衛隊の正体を見せつけたのだ。これも不思議なことだった。自衛隊の基地内に神社があった。戦前がそのまま温存されていたのだ。「神風」なんて吹くわけがないのだが、何かにしがみつかないと安心できないという隊員に信仰されているのだろうか。

基地の責任者は、近くの豪華な神社に案内して、見学者に参拝を強要してきた。気味が悪いが、好学のためと思って「原始のお祓いカルト」を目撃することにしたのだが。

 

そして隊内を一巡したあと、司令官室で司令官の歓迎を受けた。そこにも戦前が生きていた。彼の頭上になんと神棚が祭ってあった。自衛隊員は神道カルトを強要されているのであろう。戦前の軍隊が、そっくり基地内に存在していた。この国の野党議員の無力さにも驚く。野党も言論も自衛隊の戦前化について、沈黙していることになる。

 

<野党無力=震えあがる沖縄県民>

安倍の時代に「台湾有事」が叫ばれた。台湾の独立派と連携しているのであるが、新たに危機を作り出す策略である。台湾有事はない。99%ない。自国民を殺戮する指導者などこの地球に存在しない。米国の台湾研究者の7割が「台湾有事はない」とアンケートに回答している。筑波大学大学院名誉教授・進藤栄一も「月刊日本」の取材に対して明言している。

 

問題は国民と野党の無力すぎる対応にある。沖縄など南西諸島は安倍によって基地が次々と強行され、比例して「戦争の危機」に脅かされる。震えあがる沖縄県民を守る主権者・日本国民は、声を大きく上げるべきだ。せめてロバート・ケネディJrと連携することが好ましい。岸田の「ワシントンの属国」が、日本に危機を招来させている。以下に東京新聞の記事を貼り付ける。

2024年4月26日記(茅野村の平和憲法仙人・日本記者クラブ会員)

 

“大東亜戦争”とは、1937年7月7日の盧溝橋事件を発端とした日中戦争から始まる、大日本帝国による一連の戦争を指す。

「“大東亜戦争”という呼称は、かつて日本が戦争を始めるための口実として使われました。当時の東条英機内閣が、真珠湾攻撃の直後、〈欧米からアジア諸国を解放して“大東亜共栄圏”をつくる〉と言い、“大東亜戦争”という呼称を閣議決定。アジア諸国への侵略を正当化したのです」そう解説するのは、防衛ジャーナリストの半田滋さんだ。

戦後、GHQ(連合国軍総司令部)により、大東亜戦争という呼称は禁じられた。林芳正官房長官も4月8日の記者会見で、「“大東亜戦争”という用語は現在、一般に政府として公文書で使用していない」と見解を示している。にもかかわらず、第32普通科連隊は、なぜ公式のXで“大東亜戦争”と投稿したのか。

■“天皇のための軍隊”の名称を使用

元文部科学省事務次官の前川喜平さんは、こう分析する。

「自衛隊員のなかに、戦前の国体思想が蔓延しているように思います。つまり、〈日本は天皇を中心とした神の国〉〈天皇は父であり、国民は天皇と国家に忠誠を誓わねばならない〉といった考え方です。ですから彼らにとって“大東亜戦争”という呼び方は、ごく自然なものだったんでしょう」

実際に自衛隊自身はどう受け止めているのか。防衛省陸上幕僚監部広報室に問い合わせると、こんな回答が。

「世間を騒がしたという事実はございますので、こういったことのないようにやっていかねばならないと認識しております」

ところが、第32普通科連隊はX上のプロフィールに「近衛兵の精神を受け継いだ部隊」と記載。“近衛魂”と大きく記された旗の下で、隊員たちが記念撮影している写真を現在も紹介している。“近衛兵”とは、かつて存在した天皇を守る親兵のこと。平和憲法下で国民を守るために存在する自衛隊の役割とは相いれないものだ。天皇に忠誠を誓って戦うとでも言いたいのだろうか……。

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