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2024年4月 7日 (日)

本澤二郎の「日本の風景」(5127)

本澤二郎の「日本の風景」(5127)

<財閥・東芝病院で非業の死を迎えた次男・正文の命日>

子を思う親は人間すべてに共通であろう。次男の窒息死を思い出すと心が震える。第三者に分かってもらえないのが悔しい。しかし、加害者の三井住友財閥傘下の東芝を許せない。人の命を奪っても反省も謝罪もしない。社会的責任を吹聴しながらも、傲慢無礼を貫く身勝手すぎる財閥企業に明日はあるのだろうか。

正文は2010年4月7日の夜、緊急入院したその直後に医療事故死した。二重扉の個室に押し込んで、実に100分間(1時間20分)も看護師が誤嚥性肺炎の患者を放置して窒息死させた。

 

同日の東芝病院(品川区大井)玄関前の桜がパラパラと散っていた。そのころ妻が、癒しのために13階のベランダで小さなピンクの花を咲かせていた。いま故郷の埴生の宿の玄関前で勢いよく咲いて、散歩する市民の心を癒してくれている。

 

正文の死の13年前「風邪」の治療をしていた町医者(港区)に「大学病院で精密検査をしなさい」と言われ、両親のいる木更津市に戻り、帝京大学市原病院に翌日、妻が車で連れて行き、そのまま入院した。二人の東大医学部の脳外科医師が検査したことから、医学無知の親は安堵した。その次の日に両親とも病院に呼ばれた。「悪性の腫瘍が脳にできている。治療してもあと3年の命」という宣告に「我が人生も終わりか」と覚悟した。このくだりを「医師失格」(長崎出版)として公開した。取材してみて日本の進んだ医療も、実は医療事故大国であるということ、東大医学部OBの医者に安堵した無知な凡人ジャーナリストの愚かすぎた対応が、人生最大の悲劇を招いてしまったことを知るのだが、すべては手遅れとなった。わが教訓を多くの国民も共有してほしい。

 

真相は脳膿瘍、ばい菌が脳に入ったもので、抗生物質で菌を叩けば済むことだった。鈴木善幸さんの倅・俊一財務相は「安倍さんの弟の岸信夫(元防衛相)も同じ病気だった」と教えてくれた。つまりまともな医師に出会えば治っていたのだ。正文の不運に衝撃を受けて、それが死ぬまで続くことになる。

当時、厚労相が小泉純一郎氏で秘書官が飯島勲君。彼は「ガンなら国のがんセンターに移した方がいい」と忠告してくれたのだが、既に病棟の正文の脳はばい菌が大暴れして、痛め止めの薬を飲まされるだけで、死線をさ迷っていた。転院を考える余地などなかった。

 

無知は身を亡ぼすものである。正文は6年間、帝京で死と向かい合い、その後に自宅に戻った。ある意味で壮絶な家庭介護が始まった。隙間風の入る賞味期限の切れたような住宅だと、一気に肺炎になり死ぬ。回避するために品川区のマンションに移った。このころ、週刊誌の記者が心配して記事にしてくれた。サンデー毎日、アサヒ芸能、週刊文春に改めて感謝したい。当時の栄養は、鼻からの流動食。これを口から食べさせようと必死に汗をかいた。覚悟の決断だった。教えられたカロリーメイトを毎日使用した。これが見事に成功した。病院ではできなかったことが。すごいことに違いない。医師や看護師よりも両親の愛情が、患者の命を救えるのだから。この新発見に介護の自信がつく。顔色に変化が出てきた。意識も戻ってきているではないか。大便をするときだ。「よし、60歳まで生かせてみせる」と自信がみなぎってきた。来る日も来る日も正文の介護に熱中した。車いす生活中心に切り替えた。ベランダで太陽を浴びせた。だがひとつだけ不安が起きた。

 

東芝病院に緊急入院する前日、入浴介護人の咳ばらいを聞いて心配になった。案の定、翌日、正文は食事を吐き出してしまった。風邪の菌が誤嚥性肺炎の犯人だと思いたい。体調を悪くした介護者は休養してもらいたい。

そうして1週間の入院となったのだが、もしも、東芝病院が大部屋に入院させていれば、窒息死することはなかった。二重扉の個室入院が彼の生きる運命を奪ってしまった。家族は反対したが、病院に押し切られてしまった。財閥企業はカネだ。前代未聞であろう、正文は東芝病院で孤独死を強いられてしまったのである。

 

さらに悲劇の追い打ちに泣かされる。東芝病院は、反省も謝罪もしない。やむなく週刊新潮に手記を書いて、財閥病院に猛省を促した。しかし、それでも反応がなかった。恐ろしい財閥企業にまたも衝撃を受ける。

 

森英介元法相や警察OBの亀井静香さんのアドバイスを受けて、警視庁に業務上重過失致死事件として刑事告訴に踏み切った。しかし、東芝の闇の政治力に気付かなかった。電通が財閥病院初めての刑事告訴に対して、横やりを入れることなど計算していなかった。

共同通信も時事通信も、さらに克明に取材した読売新聞も記事にしなかった。東芝が経済産業省で別格の影響力を有していたこと、商工族への政治力について全く知らなかった。東京地検を操ることなど、財閥には容易であることなど初めて知った。

 

警視庁は告訴状を1年間もたなざらししたあと検察に書類送検したものの、検事の松本朗は非情にも不起訴にした。決まりきった対応だったことに恐怖を覚えた。すなわち、日本の法治主義も民主主義も存在しなかったのである。

 

冷静に見ると、正文は日本の真実を教えてくれたのだろう。財閥が操る日本政治の実態を、自身の命をさらして父親の凡人ジャーナリストに、財閥支配の日本政治を教えてくれたことになる。そしてさらに「強い反骨の政治評論家になれ」とも。怖いものなしの人間にしてくれたのだろう。毎日ペンを研ぎ澄ませて快刀乱麻、悪・不正・腐敗に斬りこむペンを、父親に贈ってくれたのだ。

 

因果応報なのか、正文の死の翌年に311フクシマで東電原発が巨大地震によって爆発炎上した。その3号機は核爆発だった。東芝製だ。東芝は米国の原子炉企業を、べらぼうに高額買収して沈没してゆく。それにしても東芝経営陣の中に、一人として正文の死に向き合おうとしなかったことに驚愕するほかない。生きている限り、東芝追及を止めない。最愛の息子への約束である。

2024年4月7日記(東芝製品不買運動の会代表・反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)

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