« 本澤二郎の「日本の風景」(4976) | トップページ | 本澤二郎の「日本の風景」(4978) »

2023年11月 7日 (火)

本澤二郎の「日本の風景」(4977)

本澤二郎の「日本の風景」(4977)

<働くなった日本人=地盤沈下して当然の休日大国>

この10年で日本のあらゆる経済指標が沈んだ。原因はいろいろだろうが、政治屋と官僚・役人が休み好きで、即座に全会一致で00の日が誕生する。政治家がいないことと、公僕に徹する役人がいなくなったことは、昨今の永田町と地方自治体の無様な政治と行政を体感することで、びんびんと五体に届く。

 

毎日好きなことを書いている隠遁生活者も、人生最後の年金幸せ期を生きていながら、知らず知らず精神的な緊張に心が晴れることが少ない。いわんや目の前に、色もないにおいもしない見ることもできない放射能が飛び交っている中で、その結果、細胞は壊れ、毎年大腸のポリープを切除して生きる老人らはいかばかりであろうか!しかも、行政は「因果関係がはっきりしない」といって全く対応しない。腸(はらわた)が煮えくり返る日々に病は進行する。あなたならどうしますか?

 

日本は休日大国、のんびりと生きなさいと慰めてもらっても、無駄なことである。この世は清和会の面々が、原子力マフィアが、政治と行政・司法を支配しているのだから。

人間が働かなくなると、悪魔が忍び寄ってくるらしい。「日本は神の国だ」「統一教会だ」「創価学会だ」と狂気が列島を押し包んで、人間本来の自由が拘束されていて、呼吸もできず、希望が見えてこない。以上はやっかみではない。

 

<日本の休日=やたらと休みだらけの365日>

念のために日本の休日を調べてみた。1週間が短い、年のせいだと思い込んできたのだが、必ずしもそうではなかった。週休2日制だから、もうそれだけで年に104日の休み。正確には公務員歴であろう。

現に「無理しても公務員になればよかった」と猛省する庶民の年金生活者は少なくない。

振り返ると、週休2日制の経験がない。土曜日も半日働いていた。5日働くと2日休めるという人生は、確かに悪くはない。成長神話から解放すべきだが、それでも為政者は口を開けば「成長」を口走って国民を惑わしている?そして戦争ごっこに言論も政治屋・官僚も走る。狙いはカネ・利権である。おぞましい人間は、戦前の昔も今も変わりないようである。

 

休日大国の日本は、このほか妙な00の日がやたらと多い。振替休日のおまけもつく。よって祝日16日を足すと年間120日も休める、世界的にも「働かない日本人」に変わっていた。

 

<深刻すぎる休日深夜勤格差社会>

1年の間に120日も休める日本人は、公務員だけではないだろう。最近では、任務を果たさない役人に対して、人は「税金泥棒」と呼んでいる。社会に腐敗がはびこって「格差」が生まれる。ゴマすりが出世する官僚社会でもあろう。

休日社会にも格差が生じる。夜勤することで、収入を少しでも増やそうとするいじらしい労働者が、わが身近にもいる。健康を壊すが、それでもカネに執着する。飲食関係の人たちは、休日こそがカネになる日である。この人たちには120日休日など無縁だ。

 

筆者にも思い出がある。わずかだが新聞社でデスク勤務をした。輪転機は真夜中に回る。その間、新しい情報が飛び込んでくると、それを校閲・整理記者に渡さねばならない。

深夜未明に新橋のガード下で酒を飲んで、健康的といえない夜勤部屋で横になる。安眠と無縁の場所だ。懐かしい思い出も忘れがちの昨今だ。それよりも、記者時代はよく働いた。よく取材し、たくさん記事を書いた。馬が食べきれないほど書きまくった。そのおかげで今も、ペンではなくパソコンでキーをたたいている。

 

夜回りという新聞記者特有の働きも体験した。いっぱしの政治家の自宅に押しかけての、取材を兼ねた情報交換にもうつつを抜かした。自民党派閥全盛期の権力闘争を、平和憲法をリトマス試験紙に斬りこんでいく。最近の記者が不足している心配ごとだ。信じられないことだが、改憲新聞が横行する言論界に愕然とする凡人ジャーナリストなのだから。

 

「中国にも抜かれた自動車産業=家電の二の舞」との報道も出ている。当然であろう。腐敗するカネ亡者の、働かない日本人の当然すぎる帰結に違いない。

 

<学閥は存在しても公僕がいない役人社会と大学のレベル低下>

学問のレベル低下も指摘されている。しかし、学閥は健在である。東大法学部人事主導の政治・官僚・司法の世界に変化は起きていない。能力・努力主義・人格主義が前面に出ない社会は、残念ながら落ち込むしかない。

試験制度も変えるしかない。教授制度も。個人の特性を見つける学問が不可欠で、ゴマすりを排除する健全な教育制度、歴史の教訓を知る日本人教育などを重視すべきだろう。

偏狭な国家主義は、この10年の間に証明された。人材がはじき出される世界では、いい社会は実現できない。

 

<帆船の日本丸で生きがい人生>

もう成長はいい。中身が大事だ。21世紀の地球は、78年前の教訓が生かされる日本でなければならない。武器弾薬の財閥利権優先の社会は、格差そのものである。

 

いい人間が生きがいをもてる社会は、船に例えると艦艇や潜水艦ではない。核のない帆船・地球号である。日本丸の乗客は、武器弾薬を放棄した、非戦の知恵のある平和主義者ばかりの日本人と、価値観を共有する地球人で、笑いと明るい希望の持てる人たちが主導するだろう。

核との共存を押し付ける「原子力マフィア」を断固として容認しない房総半島の人々の思いを、世界に広げる核格差のない帆船・日本丸に夢と希望がある!

2013年11月7日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)

« 本澤二郎の「日本の風景」(4976) | トップページ | 本澤二郎の「日本の風景」(4978) »

恐ろしい国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 本澤二郎の「日本の風景」(4976) | トップページ | 本澤二郎の「日本の風景」(4978) »

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ