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2023年1月23日 (月)

松本英子の生涯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(4693)

松本英子の生涯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(4693)

<女性記者第一号・反骨ジャーナリストとして足尾銅山鉱毒事件追及>

 近くで津田仙の娘・梅子の恵まれた環境での相次ぐ訪米を横目で見ながら、松本貞樹の娘・英子も華族女学校で教鞭をとりながら、東京高師女子部を卒業した。その後に東京女子高等師範学校と改称されたお茶の水女子大の前身だ。当時では女性にとっての最高学府。文明開化の到来とはいえ、女子の教育はごく一部の特権層に限られていた時代、上総国望陀郡茅野村出身の松本英子が、築地海岸女学校(青山学院大学の前身)なども卒業し、華族女学校で教鞭をとるなど想像を絶することだった。

 

 若くして漢学・日本語に精通していた英子は、米人宣教師と共にキリスト教聖歌集を出版している。英子26歳の時、外務省翻訳官・家永豊吉と結婚し、一児をもうけたが間もなく家永家が破産し、一家は路頭に迷い、バラバラになってしまう。その原因を著者の府馬清も不明としている。

 そのころの1900年ごろ、彼女は新たな人生に船出した。当時の毎日新聞記者になった。現在の毎日とは異なり、優れて進歩的な新聞で大手の仲間入りしていた。彼女は日本で最初の新聞記者第一号となった。

 キリスト教の影響か、近代合理主義を体得していた証拠ともいえる。彼女は日本の政商・財閥と対決することになる。権力に屈しない、正義の塊である反骨のジャーナリストよろしく、日本の公害第一号の足尾鉱毒事件の取材に身を投じた。筆者の大先輩が足元の「茅野村」に存在したことに、何かしら因縁を感じさせられる。

 

<鋭い現地ルポ記事に犯罪的財閥・古河鉱山も明治政府も悲鳴>

 戦前の政商は、それ自体が構造的な腐敗体質を意味する。戦争を機に政商は財閥化する。古河財閥が経営する足尾銅山による大地と生き物を殺しつくす鉱毒事件に突っ込んでいく英子の姿は、普通の女史には到底考えも及ばないことだったろう。

 毎日新聞の編集方針も英子に勇気を与えた。抽象的な報道に甘んじていた当時の新聞は、いまの電通支配に甘んじて真実を報道しないナベツネの御用新聞を連想するしかないのだが、英子は毎日新聞を拝借して国民に覚醒を求めていく。

 大英帝国の尻馬に乗って清国との戦争、ついでロシアとの戦争特需にのめり込んでいく明治天皇を後押しすることで、莫大な利益を上げていく財閥・古河鉱山にブレーキをかける議会人は、地元の悲惨な事情を知る田中正造くらいだ。田中の天皇直訴事件はその先だが、英子は足尾に何度も足を踏み入れ、鉱毒により家屋敷や田畑も無くなって生きるしかばねとなっている、まさに棄民を強いられた住民の生々しい声を活字にした。しかも、大連載で世論を動かそうとする反骨ぶりに圧倒される。

 この時の清流・渡良瀬川が古河銅山の猛毒に覆いつくされる様子や、対抗する英子の勇敢な新聞記事の一部を著者は紹介している。

 

 現地入りした時の現地の様子を「驚くのは2、3日いた内に僅かに高地の1、2箇所のほかは、鳥の声も聞かぬ、虫の声も聞かぬ。魚も見ぬことである。被害地の人民が、誰もかれも顔青ざめて殊に眼病とか胃病とか虐病とか、甚だしきに至っては死亡者、盲目者出で、寄留、行方知れずの者、狂者など非常に多いので」「死んでもこれを弔う僧の居所もないありさま、実に激甚地と言わずにおられようか」「この恐ろしい原因は何であろう。この哀れな有様は何から来たのであろう。この罪なき民は何とてかくまで苦しまれるのであろうぞ」

 

 野沢和吉さんという54歳の盲人との対話では「一人で寂しかろう。不自由であろう」「はい、元からこういうありさまではありませんでした。以前は家もあり、地面もあり、ご存知の通り、鉱毒以来この地は私ばかりでなく、皆元の風はありませんが、私などは眼は見えませんが、幸い体の丈夫なお陰で、どうにかこうして参りますから」「お前さん、一人ではどんなにかお困りだろうから東京に来なされ」「へい、ありがとう存じますが、矢張り住みついた処の方が安心でございます」

 

 松本勝造さんという40歳の家を訪ねた時の英子の記事。「妻のおくまは43歳だが、どうしても60以上の老婆に見える程苦労に老けてみえる。おくまは「鉱毒の前はね、田地も2町歩余持っていやしたが、鉱毒で今は一反もなくなって、何にも取れなくなってしまって、食うことも出来なくなったもんだから、亭主は気がヘンになりやんした。毎日なにも取れねい取れねいといって、おこって、方々を泣いて歩くんでやす」

 「泣きつつ語るお袋の窶れやつれて糸のようになった骨と皮ばかりの膚から出ているしなびた乳に縋って泣いている赤子を騙しながら、くまがいうのは、こうして乳にくっついでいるやんすが、乳がでねいで難渋でやんす」このあとに「医者にかかるどこのこっちゃねえ」と続く。

 今も涙無くして読めない。英子の文才に脱帽である。

 

<背景に日清・日露の戦争と政商・財閥の暴走が侵略植民地戦争へ>

 もう誰もが理解できるだろう。明治が推進した戦争である。民がその被害者だ。自然も。生きとし生けるものすべてが戦争の犠牲者だ。ひとり古河市兵衛ら財閥が暴利を懐に入れるシステムは、この後に大陸や半島への侵略と植民地支配、そして日独伊の三国同盟から日米戦争へ突き進んで、原爆投下とロシア参戦で明治の天皇制国家主義は破綻する。

 

 それでもいま再び神社本庁日本会議と自公内閣+維新と立憲と国民の民主党は、国家神道復活と改憲へと戦争準備を開始した2023年である。財閥と軍閥は敗戦後まもなく解体されたが、いまや完全に復活した。戦争体制構築のために国家神道復活を目論む神社本庁と日本会議に屈してはなるまい。歴史は繰り返すものだ。

 

<激しい批判記事に官憲が英子と新聞社に襲い掛かる!>

 松本英子編の優れて貴重な足尾銅山鉱毒事件大連載は、明治大正昭和にかけての一大最高傑作であろう。いま彼女ような不屈の言論人は存在しない。

 筆者が指摘した2022年の危機はことしさらに本格化する。戦前の近衛内閣の大政翼賛会の21世紀版は、既に実現してしまっている。せめて日本共産党とれいわ新選組と社民党の鉄の結束で、財閥とカルト政党と日本会議の野望をぶちのめす必要があろう。そうでないと日本は同じ愚を繰り返すことになる。

 

 毎日新聞も英子も官憲の弾圧に悲鳴を上げることになる。英子が自由の天地と思い込んだアメリカへの脱出である。彼女の生きる武器は、不滅の勇敢な正義のペンと才能豊かな語学力だった。日本の近代とされたイカサマの国家に、彼女の才能を生かす場所はなかった。あえていうと、それは現在も、であろう。

 

<「自由の天地」憧れのアメリカ行き決断・茅野村との決別>

 英子の覚悟の人生は、津田梅子を傍らで眺めながら抱いてきた「自由の天地」と信じ込んできたアメリカへの旅立ちだった。その直前に故郷・茅野村で待ち受ける賢母・房子と亡き厳父・貞樹の墓前に「行ってきます」という最後の別れの挨拶だった。

2023年1月23日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

<恐ろしや安倍の伊勢神宮に次ぐ岸田の厳島神社G7サミット>

広島サミットでは各国首脳が初日の519日に平和公園と資料館を訪問する方向で調整が進んでいるほか、世界遺産・厳島神社のある宮島で会議を開催する方向で検討されています。

 

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