« 気候変動と梅の開花<本澤二郎の「日本の風景」(4376) | トップページ | 日本のプーチン便乗組<本澤二郎の「日本の風景」(4377) »

2022年3月 6日 (日)

玄愛華女史が北京で永逝97歳<本澤二郎の「日本の風景」(4376)

玄愛華女史が北京で永逝97歳<本澤二郎の「日本の風景」(4376A

<中国人民志願軍の英雄=彭徳懐司令と共に最強の米軍と戦った!>

 中国史には数限りなく英雄が登場するのだろうが、筆者にとって身近な英雄は、2014年暮れに知り合った玄愛華女史。97歳で3月6日午前11時過ぎ、肺炎で入院していた病院で、静かに目を閉じた。老衰である。数日後には、北京市郊外の八方山で眠る夫の遺骨と一緒になる。24歳で元人民解放軍へ、息つく暇もなく、無事に生きて帰れない朝鮮人民志願軍へ参戦した。戦場では、通訳や戦病死者らの介護や埋葬など、それこそ女性ではこなせない、耐えがたい任務をこなして、北京に生還した。朝鮮戦争では、志願軍兵士の死者は100万ともいわれている。毛沢東の長男は、米軍の空爆に倒れている。

 

 抗日戦争から蒋介石の国民党との国共内戦、そして朝鮮戦争へと続く信じられない強行軍に、毛沢東側近の林彪でさえも、大反対して降りてしまった。困り果てた毛沢東は、やむなく彭徳懐を起用した。日本に原爆を投下した世界最強の米軍を相手に戦う志願軍には、武器らしい武器はなかった。それでも引き受けた彭徳懐は、中国軍第一の名将であった。

 

 人間を盾にした戦闘で、38度線を死守した。金日正の朝鮮民主主義人民共和国は、中国人民志願軍の命の代償だった。玄愛華女史は、見事、死闘を耐え抜いた。

 

<野戦病院軍医・元日本兵の通訳も担当>

 志願軍には、侵略日本軍を抜け出して、解放軍で入った日本兵がかなりいたようだ。志願軍の野戦病院は、日本の元軍医が指揮していた。女史は志願軍幹部と日本兵軍医の通訳も兼務する、いまでいう衛生兵だった。

 

 当時の様子を筆談で取材した。老いて耳が遠くなっていた。無数の死者が病院に運び込まれる、厳寒の山岳地帯での任務はきつかった。「二人一組で、凍って棒のようになった死体を洗って、バラックのような建物に運び込む。春になると、土に埋められる。生きた心地もしなかった」と当時を述懐した。

 来る日も来る日も無数の死体との出会いである。食べ物・衣服・武器不足のないない尽くしの志願軍である。「朝鮮の兵士は、酒ばかり飲んでいた」というエピソードも明かした。

 

 元日本兵の軍医や看護師との交流で覚えた北海道民謡「ソーラン節」を歌ってくれた。中国軍に味方してくれる日本兵と親しくなった彼女は、何が起きても日本を嫌うことはなかった。

 

<戦死者の処理は元日本人看護兵と一緒に作業>

 1972年の国交正常化が実現すると、軍務で親しくなった日本の看護兵と北京で再会することが楽しみだった。

 彼女の体は大きかった。老いても165センチ以上もあった。170センチほどではなかったかと思う。色白で美形の持ち主だった。書の達人で、よく新聞紙で練習していた。

 92歳になっても一人で買い物に出かけていたが、不運にも路上で転んでしまった。「これでおしまいか」と医師も諦めたが、本人の再起する意思は固く、見事ベッドから起き上がり、居間でテレビが見られるようにまで改善した。

 

 彼女の母親の苦労は、また壮絶なもので、ここには書ききれない。戦火のなかを二人の幼い娘の手を引いて逃げ惑う姿を想像できるだろうか。日本では空想さえも出来ない運命を乗り越えてきたが、かの文化大革命という恐ろしい政治闘争の渦中、食べるものもなく息絶えた。

 

<毎晩泣いていた元日本看護兵はハルビンで幼子を絞め殺していた!>

 彼女は、悪魔の関東軍・731部隊の本部のあった黒竜江省ハルビンでの日本人幼児の悲劇を語ってくれた。敗戦時のハルビンでは、いち早く731部隊が逃げた。残されたのは、大半が女性と子供たちだった。

 

 幼子を連れて日本に逃げられないため、大人たちは無残にも皆殺しにした。泣き叫ぶ幼児の首を絞めて殺した母親たちのことなど、まるで現場で見たような話をしてくれた。

 

 理由は日本の看護兵が、毎晩泣いているので、その理由を尋ねたら、彼女らも幼児を殺したという。思い出して泣いたと分かった。

 

<前例のない母親・夫と赤子二人の家族総出の戦闘>

 筆者が玄愛華女史を英雄と称える理由は、志願軍に母親と夫と二人の幼子の一家総出で参戦した点である。死ぬ確率の高い志願軍に参戦した勇気は、人民解放軍と朝鮮志願軍合わせても、女史のような人物は一人もいない。

 

 幼子は二歳と生まれたばかりのゼロ歳である。このような人物は、世界広死といえども、彼女以外に一人もいないだろう。北朝鮮は女史のような英雄が作り上げた国家なのだ。仰天するような歴史は、まだ中国に沢山眠っている。

2022年3月6日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

« 気候変動と梅の開花<本澤二郎の「日本の風景」(4376) | トップページ | 日本のプーチン便乗組<本澤二郎の「日本の風景」(4377) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 気候変動と梅の開花<本澤二郎の「日本の風景」(4376) | トップページ | 日本のプーチン便乗組<本澤二郎の「日本の風景」(4377) »

2022年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ