« 毎日が憂鬱<本澤二郎の「日本の風景」(4320) | トップページ | 天皇問題の核心<本澤二郎の「日本の風景」(4322) »

2022年1月11日 (火)

昔から存在した自民の言論監視<本澤二郎の「日本の風景」(4321)

昔から存在した自民の言論監視<本澤二郎の「日本の風景」(4321)

<いまDAPPIで大騒ぎ、既に佐藤内閣時代に秘密組織>

 大魔神・電通やその配下に違いないが、最近はDAPPIというIT企業を使って、野党を攻撃したりと、政府与党挙げて言論弾圧が激しく繰り広げられているようだ。ネット掲示板でも、そうした雰囲気を感じることが出来る。当たり前かもしれないが、公明党創価学会なども「防護服」で身を固め、言論戦から逃げ回って、背後から批判記事を封じ込めている。

 

 我々は、恐ろしい大変な時代を生きていることになる。忘れないうちに活字に残そうと思う。自民党本部にエリート職員として活躍した人物の、貴重な証言である。

 

 安倍晋三の叔父にあたる佐藤栄作内閣というと、7年8か月の長期政権保持者として他を圧倒したものだが、当時、幹事長・田中角栄をトップとした言論監視機関が存在した。

 

 実際には、朝日新聞出身の橋本登美三郎(茨城県出身)が指揮していたらしく、具体的にはNHKが沖縄での反政府運動活動家が日の丸を燃やす場面を報道した。これが大問題になったという。NHKは公共放送である。当たり前の報道に対して、偏向報道だと決めつけて、まずは自民党本部6階で幹事長以下秘密会議を開いた。

 

 橋本が「NHKの前田会長を出せ」とわめくなり、この場の証言者の本部職員に対して「電話をかけろ」と厳命、職員はNHKにダイヤルを回した。「内調室長の三井のもとでモニタリングしていた」という証拠もあった。内閣(内調)と自民党本部の連携のもとで、橋本はNHK会長をどやしつけたという。

 

 このNHKへの言論弾圧事件が、表面化することはなかった。ということは、言論界に対する弾圧は、日常茶飯事だったのだろう。安倍晋三事件で「忖度する」という言葉が流行したが、日本の言論界は、昔から言論の自由がなかったことになろう。

 

 戦前派の岸信介内閣を経て、実弟の佐藤内閣のもとで、日本の右傾化・言論弾圧の常態化が始まっていたことになる。この真実に言論人は、厳粛に教訓として容認しておくべきだろう。

 

<ジャーナリストの覚悟=言論の自由確立に憲法の定着が不可欠>

 甘い考えで言論人・ジャーナリストになってはならない。覚悟が求められている。最近、官邸でのぶら下がり会見で見たことがあるが、質問する記者たちはよく首相に対して「総理」と呼んでいる。70年代からペンを握ってきた我々は、首相を「さん」と呼んできた。どうしてかというと、ジャーナリストは私人・新聞社を代表しているのではない。国民を代表している。社会の木鐸という信念がそうさせてきた。

 

 現役記者には、相当の覚悟が求められているのである。「岸田さん」でいい。清和会OBなどは安倍のことを「小僧」と呼んだりしているが、別に聞いていて不思議な感じはしない。国民のために必死で貢献している、そんな人物に「先生」とか「総理」と呼んでもいいだろうが、憲法違反の悪政を強行した人物を敬語で呼ぶことは、民意に反しよう。ジャーナリストの矜持である。

 

TBS成田闘争で田英夫の首撥ねる=田政界入りで対抗>

 共同通信記者からTBSテレビに転身した田英夫が、報道部長として采配を振っていたころのことである。成田闘争華やかりしころだった。

 「TBSの撮影クルーの車が空港反対派に角材を運んでいたことが発覚、これにも自民党本部での秘密会で火が噴いた。田は反骨のジャーナリスト、自民党は目の敵にしていた。今西社長に圧力をかけて、田を辞めさせることに成功した」という。

 

 確かに羽田空港を拡張する案や、いまディズニーランドのある浦安案など国際空港案は複数存在した。佐藤は鉄道官僚OBとして、成田を選択したことで大騒動に発展した。豊饒な大地を潰すという佐藤の決断は、間違っていたというべきだろう。羽田の拡張案が一番被害を少なくさせることが出来たはずだ。農民の反対闘争は、正当化されるべきだろう。為政者の暴走で、国民はその大きなしわ寄せを受けることになる。

 

 岸・佐藤・安倍の「戦前回帰」への悪政には、反吐が出る。

 

 アメリカの暴走そのもののベトナム戦争報道で一躍勇名を馳せていた田英夫は、社会党から政界入りして自民党の右翼政治に対抗した。彼の正義は今も消えていない。

 

<金丸信を叩くと番犬ハマコーが東タイ編集局長を弾圧>

 自民党派閥記者20年の実績のある筆者の苦い思い出というと、それは中曽根内閣で台頭著しい金丸信を、東京タイムズ1面で批判記事を書いたことがある。詳細は忘れたが、当時の金丸は泣く子も黙る東京農大柔道部出身で、親類の竹下登を中曽根後継者にしようと必死だった。

 

 有頂天の敵なしの金丸幹事長を、真っ向から批判記事を書いたところ、意外なことが起きた。金丸の番犬を務めていた浜田幸一が、柔和なY編集局長に襲い掛かってきた。事情を呑み込めないYは、ひたすら平身低頭でやり過ごそうとしていたが、記者に始末書を書かせる、という条件をのんでしまった。

 

 不当な始末書を甘んじて書いて、やり過ごすことにしたが、いま考えても悔しい思い出である。ハマコーは、れっきとしたやくざなのだ。やくざを番犬に使う金丸も政治屋失格、それに屈した東タイもジャーナリズム失格である。

 

 言論の自由を死守するという、覚悟のないジャーナリストでもあったことが悔しい。野党のDAPPI攻撃は、したがって重大なこととして注目したい。

2022年1月11日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

« 毎日が憂鬱<本澤二郎の「日本の風景」(4320) | トップページ | 天皇問題の核心<本澤二郎の「日本の風景」(4322) »

恐ろしい国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 毎日が憂鬱<本澤二郎の「日本の風景」(4320) | トップページ | 天皇問題の核心<本澤二郎の「日本の風景」(4322) »

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ