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2021年3月 3日 (水)

習近平も知らない偉大な英雄<本澤二郎の「日本の風景」(4013)

習近平も知らない偉大な英雄<本澤二郎の「日本の風景」(4013)

<幼児同伴!家族総出で竹やり戦法の朝鮮志願軍へ>

 「3月3日は節句」だと前日、妹に教えられた。節句働きは、怠け者のことらしい。幸い関東は、朝から真っ青な空、太陽と清浄な空気があふれて、西方の彼方に真白き富士が雄姿を披露していた。心静かにして、習近平も知らない偉大な、知られざる英雄中国人のことについて、リクエストもこれあり、特別に紹介しておきたい。

 

 朝鮮戦争のことを知らない日本人の若者は、今は多いに違いない。敗戦直前の天皇制国家主義の日本政府は、家庭の主婦らを動員して、竹やり戦法で米軍と対決する準備をしていた。太平洋を目の前にした九十九里浜が、その戦場に選ばれた。戦争の愚かさを象徴する歴史の真実である。

 

 このような信じがたい戦争が、実際に日本敗戦の5年後に朝鮮半島で起きた。国連軍を名乗る、当時では圧倒する武器弾薬を保有する米軍に対して、飛行機や戦車もない、いわば竹やりの中国は志願軍を半島に投入した。その数100万。多くが戦場に散った。

 

 モスクワのスターリンが、北京の毛沢東に要請して、朝鮮戦争は火ぶたを切った。これに毛側近の林彪は反対した。当然であろう。勝ち目のない戦をする馬鹿者は、この地球に居ないのだから。しかし、毛沢東は決断した。代わりに総司令官になったのが、おそらく中国最大の英雄・彭徳懐である。

 

 武器も少ない。食料もない。無いない尽くしの竹やりの彭徳懐軍に、米軍は戦闘機や戦車で応じた。志願軍の死者は数えきれないだろう。いまも半島に眠っているはずである。

 

 このような悲惨すぎる戦闘も、元を糺せば軍国主義・日本の、半島と大陸への侵略という資源略奪戦争だった。反省して撤退していれば、日米戦争もなかった。広島・長崎の原爆投下もなかった。東京など大都市への絨毯爆撃もなかった。

 

 この志願軍に関東軍と抗日軍の戦闘の渦中、放浪の生活を余儀なくされた、二人の幼子の手を引く婦人が、抗日戦争に呑み込まれていく。長女は嫁いで、一人娘を残して若くして亡くなっていた。栄養失調だろう。次女・玄愛華さんと共に、婦人は食うため生きるために、毛沢東の呼びかけに応じて、抗日毛沢東軍の本拠地・延安に飛び込んだ抗日軍の作戦参謀格の兵士と結婚した。

 

 

 愛華さんは、二人の幼子を抱えながら、抗日戦に勝利すると、朝鮮志願軍に母と夫と、それに1,2歳になる幼子を抱きかかえて、生きて帰れないはずの志願軍に飛び込んだ。これまた生きるためだったのだろうが、それにしても家族総出の「出征」は、この地球上でも異例どころか、前例がないだろう。

 

 もちろん、赤紙一枚という天皇絶対性下の日本でも、家族総動員の例は存在しない。悲惨な沖縄戦でもなかった。全く想定できないことだった。ここにも、北朝鮮勝利の鍵が存在したといわねばなるまい。愛華さんの北朝鮮軍の印象は「酒浸りの朝鮮軍」と手厳しい。ことほど辛い、想像を絶するような竹やり戦法だったのだろう。

 

 この悲劇的な戦闘を習近平も金正恩も知らない。もう語れる志願軍の老兵も居なくなっている。中国人も忘れている。抗日戦争映画は毎夜、いくつも放送されているが、朝鮮志願軍のそれを見たことがない。

 

<抗日戦争勝利で息つく暇もなく、死なばもろともの朝鮮戦争に参加>

 抗日の赤軍に参加することで、母と娘はわずかな食事を口に入れることが出来た。女性を女性として扱う軍律の厳しい赤軍に感謝したであろう母は、次女を赤軍兵士に委ねた。

 

 そして中国・東北軍の、厳しすぎる運命に身を任せることになる。一般的には想像できることではない。勝てる戦争ならともかく、投降した日本軍の武器弾薬しかない、およそ戦闘集団としての条件などそろっていない。

 

 そこへと家族総出の「出征」である。総司令官の彭徳懐も知らなかったであろう。夫は延安の筋金入りの司令部付の作戦参謀だが、妻の方は看護・衛生兵である。幼子を母親が面倒を見るという布陣なのだ。

 

 「毎日凍り付いた死体を二人がかりで運んだ。来る日も来る日も」と愛華さんは述懐した。当時の最新鋭の米軍の武器に命を奪われた若者は、数知れずだった。しかも、そうした尊い犠牲者を、これまでのところ、国家として丁重に慰霊したという話を聞かない。

 

 反対に「米軍の捕虜に対して、生涯、暖かく迎えることがなかった

」という話が、事実だとすれば、今からでも遅くない。両国は共同で慰霊する責任があろう。

 

 米軍の総力戦の先陣は、戦闘機による絨毯爆撃である。毛沢東の長男は、逃げ遅れて戦死した。英雄・彭徳懐は、戦後彼の仕打ちなのか、恵まれた人生を約束されなかった。ことほど長男を失った毛沢東の、衝撃の大きさを見て取れそうだ。

 

 息子に先立たれる親の悲劇は、それは体験者だと、理解することが出来る。「身体髪膚之を父母に受く」という孔子の教えも、子供の親孝行の秘訣を教えている。

 

<林彪も反対、毛沢東は彭徳懐を説得、100万の大軍編成>

 実は、朝鮮戦争は言葉だけの知識で詳細をしらない。偶然、日刊ゲンダイの筆者のコメントを評価してくれた東大OBの立派な憲法学者の畑田重雄さんが「朝鮮戦争を研究しました」とのお便りがあった。偶然か、彼と愛華さんは97歳になる。すばらしいことに、二人とも精神は健全である。

 

 中国に精通している者であれば、一度は毛沢東が後継者に指名した林彪が、朝鮮戦争に参戦することに反対した。反対の理由は小学生でもわかる。

 竹やりで勝てるわけがない。まだベトナム戦争は起きてなかったのだから。歴史は、朝鮮戦争を分析しなくても分かるのだが、武器弾薬で民族を死滅させることは出来ない。たとえ核を使っても、である。

 

 日本に対してアメリカは、天皇を利用してうまく占領した。そうして戦後70余年も、日本を支配している。不思議日本である。A級戦犯を復権させ、最近までは、その孫を7年8か月も。アメリカは恐ろしい国であるが、日本国民も、というべきだろう。真の民主主義の国ではない。

 

 今の北朝鮮は、中国の朝鮮志願軍を率いた総司令の彭徳懐100万の死闘によるものだが、その英雄を支えた、家族総出で出陣した玄愛華さんらの英雄的支えがあったのだと信じたい。言葉にならないほど、彼女と家族に敬意を表したい。

 

 高い地位を得た官僚たちの、物凄い腐敗を知る中で、余計に彼女の貢献が光輝を放っているだろう。あえて英雄・玄愛華女史である。

 

<コロナ誕生日に春高楼の「荒城の月」を北京から届けてくれた無名の英雄・玄愛華女史>

 そんな女史が、はるばる北京から電話をくれた。日本語で「春高楼の花の宴」「めぐる杯影射して」と滝廉太郎の「荒城の月」を歌ってくれた。97歳になるのだから、佐藤しのぶのような美声を張り上げることは出来ないが、彼女の心は、間違いなく我が誕生日を祝ってくれているのである。

 

 彼女に日本語を教えたのは、東北を侵略支配していた日本軍である。幼い女史は、そこで数年、日本語を学んだ。

 志願軍では、関東軍から投降した日本軍の軍医と看護兵と肩を並べて、軍務に励んだ。その際にも日本語能力を向上させた。女史は、語学の天才になれる才能があったのだ。

 

 その機会さえあれば、毛沢東や周恩来の通訳にもなっていたかもしれない。「荒城の月」は、元日本軍の軍医か看護兵が教えた歌である。もうあれから70年である。

 

<拙著「中国の大警告」中国語翻訳本を一晩で泣きながら読破>

 女史との真の出会いは、一冊の本である。中国各地を旅する過程で様々な人々との出会いと、日本へのメッセージを整理した内容で、タイトルは「中国の大警告」(データハウス)。「一晩かけて睡眠せずに読んだ。涙が出た」と連絡してきた。

 

 中国人に寄り添った日本人ジャーナリスト初めての本は、中国社会科学出版社が専門家を動員、翻訳して中国版が完成した。要請してきた人物は、清華大学の日本研究者・劉江永教授だ。1か月後に完成した。

 

 女史もこの「中国の大警告」を読破して、筆者を信頼してくれたものである。ちなみに、本書の姉妹本が「アメリカの大警告」(同)で、こちらは日本のアメリカ通第一人者の宮澤喜一が、感動的な感想文を手紙に書いてよこした。このことで、著者としては文句なしに満足、喜んだことはいうまでもない。

 

 中国の東北・朝鮮半島を、波乱万丈の人生を生き抜いてきた真の英雄に、泣いて喜んでくれたことに大満足である。こちらから感謝したい。

 

<肖向前さんは機内で読み、何度も自宅に電話、都内のホテルで「あなたは本当の中国の友人だ」と感動>

 この本の誕生には、宇都宮徳馬さんや、人権派弁護士の渥美東洋ゼミ一期最優秀生・黒須順子さんらの、物心両面の支援を踏み台にしての活動と、中国青年報特派員らとの交流が幸いした。

 

 本は、盧溝橋の抗日戦争記念館に100冊贈呈、そこから友人が各方面に広がった。中国の名門大学の日本通との交流と、大学訪問での学生との交流は楽しいものだった。中国の第一級の日本通の肖向前さんは、訪日の際、機内で読破すると、毎日のように留守宅に電話をかけてきた。

 

 東京の宿泊先の赤坂プリンスホテルで会見するや、にこやかな表情で手を差し伸べながら、彼は「あなたは本当の中国の友人です」と声をかけてくれた。そばに娘の肖紅さんがいた。彼女とは、今もメールで往来している。以来、北京訪問した折は、必ず自宅に呼んでくれた。昼飯には「中国のビールは水よりも安い」といって乾杯を繰り返した。懐かしい思い出となっている。

 

<胡錦涛国家副主席は、首相就任前の小渕恵三さんに「この本が中国人の心」と説得>

 1冊の本の取り持つ縁は、心と心の交流となって、天高く羽ばたいていくものである。人間との信頼関係は、金では構築できないものなのだ。

 

 「中国の大警告」は、もう一人の高官、当時国家副主席の胡錦涛の目にも触れた。彼とは同年である。

 胡錦涛は、人民大会堂を訪れた日本の小渕恵三と中山太郎に向かって、なんと「中国の大警告」を見せたのだ。そのころ、前者に対しては「日本の首相になるのであれば、中国を知らなければならない」と忠告していた。その時、彼は「僕は今韓国との交流に努力している。中国とは竹さん(竹下登)がやっている」と返事するものだから、それを遮って訪中を促した。

 胡錦涛はいつもの穏やかな口調で「中国人の思いは、この本に書いてあります。ぜひ読んでください」と二人に呼びかけた。

 

 小渕は、中山太郎を誘っての胡錦涛訪問だった。帰国後、この話を小渕秘書が連絡してきた。さっそく宇都宮徳馬さんに報告すると、むろん、破顔一笑喜んでくれた。事務所の山谷秘書は「国家副主席が読んでるということは、党の幹部は皆読んでいるはずだから、すごいことですよ」と解説してくれた。彼は元陸軍中野学校の卒業生だ。戦争中は、中国社会に入り込んでの情報活動に従事していたという。もちろん、中国語は中国人レベルだった。宇都宮さんの通訳を務めていた。

 

<偉大な将軍と志願兵のことを大陸・半島の人々は忘却することなかれ!>

 この機会に中朝両国の関係者に進言したい。偉大な彭徳懐将軍と、97歳になる玄愛華女史のことを忘れるなかれ、と。

 

 女史は、いま北京の国営企業が建設した築40年ほどの、質素な大型の集合住宅に住んでいる。5階か6階建てのもので、エレベーターはない。

 

 92歳の時、一人バスに乗って大型スーパーに出かけたさい、路上に転んで救急車で病院に運ばれた。頭を強く打ったらしく意識がなかった。中国の特殊な高額医療は、たとえ急患でも、家族が大金を用意しないと医師は手当てをしてくれない。

 

 病院がすることは、女史の身分証明から、自宅に電話するだけなのだ。普段は誰もいない。偶然、長女が留守宅に来ていて、事態が判明して兄弟で金を用意して、入院することが出来た。もし、誰もいなければ、女史は92歳で人生を止めなければならなかった。

 

 運よく意識は戻ったが、足腰はマヒして普通に動かすことが出来なくなった。日本でも、このような場合は、もう人生、終わりだろう。しかし、女史は自由に歩くことは出来ないが、精神は健全、テレビを見て日本のコロナ対策にイラついている。いくつになっても、最愛の娘のことは心配してくれる優しい母親なのだ。

 

 以上の女史の秘話は、耳の遠いことから筆談で取材した、貴重な内容である。

 

 女史の寡黙な夫も100歳、せめて100歳まで生きましょう、と激励している。中国の若い青年に対して、女史の生きざまを教えようとして、本日、本人と家族に黙って書いた。必ず反対することが分かっているからであるが、女史の生きざまから、筆者の目には、中国の強さを印象付けられる。手前味噌でなければ幸いである。

2021年3月3日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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