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2020年7月14日 (火)

知らないと恥かく派閥の怨念<本澤二郎の「日本の風景」(3784)

知らないと損する派閥の怨念<本澤二郎の「日本の風景」(3784)

<リベラル憲法重視・宏池会VS改憲軍拡・清和会の攻防史>

 今の電通支配下の新聞テレビは、昨年7月の参院選広島選挙区で、勃発した河井案里と溝手顕正の死闘ともいえる広島戦争について、表面的にしか伝えていない。それは安倍に忠誠を誓わされている宏池会の岸田文雄、岸田が後継者と甘言する安倍の虚言に翻弄されている。同時に、ひ弱すぎる岸田の性格も関係している。

 

 過去にも前例がある。7年8か月の佐藤栄作長期政権に屈した、前尾繁三郎を想起させる。このときは、宏池会の若手・田中六助などが決起、大平正芳と交代させて、低迷派閥の復活に成功した。

 大平は、佐藤派を離脱、独立する田中角栄と提携して、悲願の日中国交正常化を実現した。後者は金脈問題で退陣、その後に襲い掛かったローキード事件では、不条理な検察の捜査によって腰を折られてしまったが、大平は屈せず、福田後の政権を手にした。

 

 このことからすると、岸田は宏池会会長の座を譲る場面である。いやなら宏池会の伝統を死守して、安倍を追撃する先頭に立たねばならない。保守本流・総裁派閥宏池会の宿命的立場は、ここにあるのである。

 

 河井夫妻を利用しての安倍の宏池会崩壊作戦に甘んじるばかりの岸田であれば、即刻、会長の座を降りるしかない。老いた古賀誠もどうかしている。

 

 憲法尊重のリベラル派と改憲軍拡派の攻防・死闘は、敗戦後からである。政治理念は水と油・正反対なのだ。

 

<吉田茂VS鳩山一郎、池田勇人VS岸信介、前尾繁三郎VS佐藤栄作>

 敗戦後の第一回総選挙は、戦争推進派だった鳩山一郎の自由党が第一党となったが、組閣寸前の場面で、占領軍総司令部(GHQ)が鳩山を追放(パージ)した。

 軍国主義下の英米派外交官の吉田茂が浮上、鳩山と交代した。吉田は労せずして政権を手にした。荒れ果ててしまった敗戦日本の経済復興を成し遂げた吉田の最も重要な成果は、大日本帝国憲法に代わる平和と民主を根幹とする日本国憲法を誕生させたことである。今日の日本は、紆余曲折はあっても、ひとえに戦後憲法のたまものである。平和を維持できたことに日本国民は、憲法に感謝すべきだろう。憲法を存続することが日本とアジアの平和と安定の基礎である。

 河野洋平ではないが、改憲など論外である。

 余談だが、鳩山自由党の選挙資金を用意した人物は、なんと上海で陸軍の児玉誉士夫率いる児玉機関だった。同機関が侵略地区で略奪したプラチナなどの軍需物資。これを敗戦直前、軍用機で東京に持ち込んで、それを札束に替えた。河野一郎ら鳩山側近は、児玉の略奪物資を売却して札束に代えた。

 後年、吉田内閣で参院議長を歴任した松野鶴平の政治後継者で、小泉純一郎内閣のご意見番・頼三が筆者に打ち明けた秘事である。

 児玉の略奪資金に手を出した戦前派の鳩山の後継者が、安倍の祖父・A級戦犯の岸信介である。

 敗戦で人材が枯渇していた中で、即戦力となる官僚を引き抜いた吉田派と、戦前派で戦争推進派となった追放解除組の確執が、保守合同後の宏池会リベラル派と清和会改憲軍拡派の攻防となってゆく。

 

 吉田政治の後継者・保守本流をの池田勇人と、保守傍流の岸信介の争いは、ひたすらワシントンの指令に従うGHQ主導の60年安保改定、そのための警職法をめぐって対立した。結果、岸退陣を必然化させたものだが、そこで宏池会創設者の池田の出番を確実にした。この60年安保闘争の国会デモに参加した当時の学生が、のちの宏池会をリードする。池田行彦と加藤紘一である。

 日中・日米戦争推進派が、GHQワシントンに従順というのも不思議ではある。今の岸の孫がそうだし、改憲軍拡派はワシントンの防護服を着て飛び跳ねている。

 

 岸の実弟・佐藤栄作が政権に就くと、宏池会の劣勢が際立つ。優柔不断の前尾繁三郎を今の岸田が演じているようで、派内の空気は澱んでしまっている。

宏池会が弱くなると、岸の勢力は長期間、政権を担当する。リベラルが衰退すると、必然的に財閥優先で国民生活は疲弊する。

 

<大平正芳VS福田赳夫、宮澤喜一VS安倍晋太郎、加藤紘一VS森喜朗>

 宏池会第三代会長となった大平は、田中角栄と深く提携することで、厚い壁を乗り越えてゆく。前尾の教訓を生かしたのだ。

 大平の立派過ぎる実績というと、それは中国との国交正常化に尽きるのだが、そのために田中内閣を誕生、外相になると、一気呵成成し遂げてしまった。首相として北京を訪問するや、政府開発援助を約束、中国の経済成長の基礎を完結させた。

 これに抵抗した岸の息がかかる福田内閣は、それでも背後の岸を攻略して日中平和条約を締結する。立役者は自民党幹事長の大平だった。蟄居中の目白の田中は、福田派の園田外相に側近の愛野與一郎を、政務次官として送り込んで外相攻略を成功させた。

 

 福田再選をかけた党員選挙で大平が勝利すると、福田はあっさりと政権を投げ出した。中国経済の起爆剤となったODAは、大平自ら北京に足を運んで、鄧小平に約束した。

 日中侵略戦争への反省と謝罪を込めた、大平らしい日本国民によるすばらしい貢献となった。残るは北朝鮮だ。宏池会政権なら、真っ先に手を付ける外交課題であろう。

 

 岸の政治力で、福田の後釜となった安倍晋太郎は、岸の娘婿、晋三の父親である。中曽根後継人事で、宮澤喜一と争うことになったが、中曽根は金のかかる「世界戦略研究所」設立資金を用意した竹下登を指名した。

 国家主義者の中曽根は、岸と同じく護憲リベラルの宮澤を嫌った。徹夜マージャン好きの晋太郎は、きつい外相生活でガンに倒れてしまった。

 だが、竹下後継者の小渕恵三の急死すると、当時、自民党幹事長の清和会・森喜朗に出番が回ってきた。といっても、官房長官の青木幹雄ら一部幹部の密会で押し切ったものだ。当時自民党の総務会長だった、宏池会の池田行彦を外しての決着、すこぶる不明朗なものだった。せめて議員選挙をすべきだった。「サメの脳みそ」で知られる森政権誕生で、改憲軍拡のカルト教団・日本会議の出番を作って、とどのつまり安倍内閣を誕生させ、歴史の駒を逆転させてしまった。この森退陣を迫ったのが、加藤紘一だった。

 森は目下、五輪開催の中心人物となって、電通利権の先頭に立っている。

 

<岸田文雄VS安倍晋三=広島安芸VS山口長州>

 小泉純一郎の尽力で首相の座を射止めた晋三は、一回戦で矢尽き倒れたものの、二回戦では宏池会の岸田を懐柔作戦で、自民党内に敵なしの言論封鎖体制を構築して、長期政権を実現している。対抗馬は石破茂のみだから、職権乱用の犯罪を次々起こし、他方で戦争三法やカジノ法を強行、ワシントンにとことん忠誠を尽くしている。

 

 電通を暴走させて、言論統制にも成果を収めている。そうした背景を武器に、広島戦争に点火した。ただし、宏池会撲滅寸前で1・5億円事件が発覚、流れは逆流しているのだが。岸田が生まれ変わって田布施を退治できるのか。死闘は夏へと向かう。

2020年7月14日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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