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2020年6月11日 (木)

王道と覇道<本澤二郎の「日本の風景」(3711)

 

王道と覇道<本澤二郎の「日本の風景」(3711)

<江戸の徳川独裁―明治の天皇独裁―戦後のアベ独裁>

 古来儒者は、覇者が武力や策略で国を治める悪しき覇道と、反対に帝王が仁徳で政治を行う王道とを区別、後者を政治の基本・要諦としてきた。今の安倍政治は、憲法や法律を軽視する文字通り前者の覇道である。今では万人共通の理解であろう。

 そこでは、特に言論を統制し、国民世論を操るという策略に徹することで、4割前後の無知な民衆を味方につけて、暴政を繰り返してきた、と総括できる。

 

 振り返って日本の近代前後の統治方法を検討して見てみると、藩制を軸に均衡を心がけながらの徳川幕府の独裁は、他方で鎖国政策で外部の介入を阻止することで、およそ300年の歴史を築いた。

 

 続く明治政府は、海洋を背景にした地方の武士団が、外国の先進武器を導入、支援を受けて、藩制国家(徳川幕府)を打倒して実現した。最大の精神的武器は、京都に蟄居させられていた皇族・天皇族を、異様ともいえる尊王論をひけらかして擁立、開国による武器の近代化と、人民を一本に束ねる戦闘的な教育・宗教と、それらを統括する帝国憲法で、しっかりと固めて、最後は覇道の極みともいえる侵略戦争に突入して滅びた。

 

 侵略の手段は、したがって野獣のように獰猛で、残酷無残であったがために、戦後の現在も国際社会で問われ続けている。かくして、天皇制国家主義を否定した平和憲法の下で、長く反省自粛してきた戦後政治として記録されてきた。これに反発、果敢に挑戦、戦前の大日本帝国の復活野望に賭ける自民党清和会主導の覇道戦略は、公明党創価学会が賛同、同時に外から大阪の維新が支援する体制構築に成功、安倍独裁の暴政が開花した現在ということになろう。

 

 この戦前回帰路線の標的は、軍国主義化と平和憲法の解体にある。

 

<福田・清和会と安倍・清和会は異質である!>

 ここで清和会の創設者の福田赳夫と、安倍の祖父・岸信介の政治理想の大きな違いを、あえて指摘しておく必要がある。全く同一ではない。それを具体的な事例で見ると、歴史を正当化する靖国参拝と、もう一つが中国問題の視点である。

 

 筆者は当初、福田・清和会と安倍(森喜朗・小泉純一郎)の清和会を同一線上で論じてきたが、正確には、岸の流れを継承する森や安倍の清和会と、福田のそれは異なる。特に靖国参拝と日中関係で、むしろ対極に立つ。

 日中関係とは、すなわち台湾問題の対応にもなるのだが、岸や安倍の台湾認識は、ほぼ同一線上にある。今の台湾独立派の蔡英文総統との関係は特別で、安倍はそのために実弟の参院議員の岸信夫を、日本台湾派の名代として活動させているほどだ。

 

 言及するまでもなく、日中平和友好条約は福田赳夫内閣のもとで実現している。息子の康夫元首相は、鳩山由紀夫元首相と共に、日本を代表する親中派を任じている。岸の流れは、国家主義・反共主義が顕著だが、福田家にはそれがない。

 清和会を語るときの大事な要点である。

 

 昨今の安倍の中国接近は、かなりの策略が背景に踊っていると見るのが、1972年から日本政治を見聞してきたジャーナリストの確たる分析である。それを承知したうえでの、北京の対応なのだ。いうところの同床異夢である。

 

<一国一城レベルの馬鹿殿コロナ暴政乱舞に衰退する日本国>

 国民が支配するという建前の日本での、現代の覇道政治を主導する重要な役割は、いうまでもなく第四の権力と言われる言論機関である。国民の意識構造の決め手が、報道の中身で決まるからだ。ゆえに言論の自由が不可欠なのだが、安倍・自公内閣はこれを事実上、封じ込めている。

 

 指摘するまでもなく、それは首相官邸のNHK支配である。安倍内閣が真っ先に手を付けた仕事がNHKを、公共放送から安倍内閣のための放送に切り替えることだった。

 ことあるごとにNHK放送に関与、有能なジャーナリストを排除する一方で、会長人事や経営委員会人事を独占して、安倍のための放送に切り替えてしまった。筆者はテレビを自宅から排除して、ずっと抵抗しているが、多くの庶民はテレビ人間を強いられて、NHKの世論操作に屈してしまっている。

 

 テレビ人間は分からないが、4割前後の内閣支持率の確たる理由である。

 そうして安倍・自公の政権が7年以上継続、暴政の限りを尽くしているのだが、国民の多くが政治不信に陥り、選挙を放棄することから、政権の存続を許している。

 テレビによる世論操作に現代人は、完璧に取り込まれてしまっている。ネットの反乱に期待したいのだが、政府は総力を挙げて、ネット工作にも布陣を敷いて、言論の自由を妨害して止まない。

 

 安倍の暴政は、過去の統治論からすると、前近代の一国一城の主である。形は主権者でも、実態は税金を納める奴隷扱いだ。城主には、血税との観念などない。自ら取得した資産だから、全てがやりたい放題だ。主君は、物差しで忠義ぶりを測定して、そこへと金を流すことに、全くのためらいがない。

 

 1、国民は森友事件の発覚で、そのことに初めて気づいた。国有財産のタダ同然の払い下げ。法律違反関係なしだ。教育勅語の教育に取り組む森友学園は、安倍夫妻にとって忠義の証だった。

 

 2、加計孝太郎事件は、身内のスポンサーとしての功労に応えたものだった。 3、TBS強姦魔にしても、安倍宣伝の先駆者として保護の対象者だった。そんな人物を強姦事件犯人として司法にゆだねることなど論外だった。

 

 4、桜を見る会の招待客は、自己を支援してくれる忠義の仲間たちである。主君の応援団は、朕は国家なりと勘違いしている安倍にとって、むしろ功労者として招待するのが、主君の道なのだ。

 

 5、河井事件の1・5億円は、ハエのようにうるさい宏池会参院議員現職を叩き潰し、合わせて岸に対抗した怨念のリベラル派閥を消滅させるため、加えて法務検察を主君防衛の親衛隊・近衛兵のための布石でもあったろう。

 稲田検察をねじ伏せれるかどうか、目下、民衆の関心事ではある。

 

 6、そしてコロナ対策にかこつけての大型予算は、日ごろの忠義に対してのお返しの機会なのだ。NO1は、いわずと知れた電通だ。財界を束ね、言論機関、とくにテレビを独占、毎日、安倍報道に徹しているテレビを操る電通である。

 血税予算も、一国一城の主にとって、それは家の子郎党に対する恩返し、日ごろの貢献に対する配分そのものなのだ。様々の給付金を采配する電通に、おこぼれの大半が流れて当然なのだ。主体のはずの事業者、貧しい国民は、彼らからすれば「刺し身のツマ」でしかない。

 予備費10兆円もまた、そうして配分されるだろう。

 

 1年前には、令和の天皇を誕生させて、次いで政権の威容を内外に誇示する1年遅れの五輪に賭けている。その後の憲法解体の夢を抱き続ける国粋主義者なのである。以上は誰も書こうとしない、日本政治の真実であろう。

2020年6月11日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

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