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2019年9月 3日 (火)

非はすべて安倍晋三<本澤二郎の「日本の風景」(3423)

 

非はすべて安倍晋三<本澤二郎の「日本の風景」(3423)

<9・3は浅井論文とハンギョレ新聞コラムで気分は爽快>

  9月3日はいい日である。なんとなく気分爽快である。元外交官の良識派が正論を発表した、それを、ネットで確認できたせいだ。浅井基文論文か発言用文章かはどうでもいいことだが、日本の知性が真っ向から、容赦なく安倍を断罪していて小気味がいい。日韓対立の非は、すべて安倍晋三にある。

 

 今の外務省は、安倍に右ナラエしていて、真ん中から腐ってしまっているが、以前はまともな外交官がいた。筆頭は多分、近年では野田英二郎に違いない。一度おしゃべりしたことがある。彼は大学の先輩である後藤田正晴を尊敬していた。護憲リベラルの人である。浅井さんも、野田さんと仲良しに違いない。

 

 ずっと後輩の雅子さんも、外務省の護憲リベラル派だろう。憲法を順守する良識派は、すべからく反靖国派である。原始的で、占いの、お祓い宗教を信仰できるわけがない、まともな現代人であろう。戦前の戦争責任を、74年経ってもいまだに果たしていない。戦前の国家神道ほど人間を犬猫のように戦場に動員、反省も謝罪もしない原始宗教を、今日でも国際的に戦争神社として、怖い不気味な教団と位置付けている。

 

<一度赤旗祭りで同席>

 一度だけ日本共産党の「赤旗祭り」に招かれたことがある。

 東京湾の埋め立て地を会場にした大掛かりな集会だった。そこで初めて天空に向かって声を上げた。室内のように反射音がないため、妙な感じを抱いたものだ。

 

 安全保障に絡んだテーマだったと思う。一万人ほどの聴衆は、芝生に座り込んで聞いていた。よく見なくても、そこには年配の男女が多かったことが、気になった。

 即席の壇上には、浅井さんともう一人、党の大幹部の三人で一時間ほどかけて責任を果たした。初めて知る元外交官は大学教授をしていたのだろう。穏やかな物腰に、知性派然としていたように記憶している。

 

<犯人は財閥・日本会議の安倍傀儡政権>

 不勉強な筆者は、韓国の新聞の内情を知らないのだが、彼はハンギョレ新聞コラムの文章を紹介した。

 「一斉不買運動を軸にした反安倍闘争が、日本国民の覚醒を促し、韓国の市民社会の共闘に上昇すれば、東アジアに新しい平和秩序を創出する原点になるだろう」

 全くその通りだが、現実は安倍に屈した新聞テレビによる世論操作で、現実はその反対である。

 「日本は真の正常な国家になれない。世界普遍の道徳的一員になれない。安倍暴走は、韓国の経済的脅威だが、日本国にとって、はるかに根本的な脅威である。日本国民が永遠に目覚めないと、永遠の未成年の孤立状態に閉じ込められる」

 以上のコ・ミョンソプ論説委員の指摘へと、日本は真っ逆さまに落下している。 

 悲しくて、恥ずかしい限りだが、彼の予見に沿って、日本は亡国の道へとまっしぐら突っ込んでいる。若者よ!覚醒せよと叫ぶものである。

https://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2019/1150.html

 元凶は、戦前の悪行を、反省も謝罪もしない財閥と神社本庁の傀儡政権ゆえである。

 有権者の2割台の支持で政権を奪い取って7年、改憲軍拡政権はいよいよ本丸を占拠しようとしている。

 

 それでも、個人的には、5年ぶりの9・3なので、九十九里ドライブで太平洋に向かって吠えることにする。

2019年9月3日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 



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「引きこもり国家」へと進む日本(ハンギョレ文章)

2019.08.25.

822日付のハンギョレ・日本語WSは、コ・ミョンソプ論説委員署名コラム「「引きこもり国家」へと進む日本」を掲載しています。サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』は大昔(?)に読んだ記憶がありますが、断捨離敢行で今は手元にありません。しかし、「他のすべての文明が複数の国家を含んでいるのに反して、日本は文明の単位と国家の単位が一致する唯一の文明である」という指摘を行っていることはうっすらと記憶に残っています(というより、コ・ミョンソプ氏のこの文章を読んで思い出した、というのが正確です)。その導入部分はともかくとして、「平和憲法を持って世界に向けて腕を広げた日本が、集団的妄想に捕らわれたように自分の中に入り込み退行する姿が明らかになっている。こうした逆行の先頭に安倍晋三首相がいる」、「自分の行為が生んだ過誤を認め、そこに責任を負うことが成熟の証とするならば、日本政治こそ成熟の入り口から果てしなく滑落する未成年状態にとどまっている」、「正直であることもできず、自己省察もなく民主的でもない国が、人類普遍の共通感覚が認める「美しい国」になることはできない」というコ・ミョンソプ氏の安倍政治の本質に関する指摘は正鵠を射ていると思います。
 私がさらに彼の日本政治に対するただならぬ認識を感じたのは、「安倍の退行を阻止しなければ、日本は真の正常な国家になることはできず、世界普遍の道徳的一員になることもできない。安倍の暴走は韓国には経済的脅威だが、日本国民にははるかに根本的な脅威である。日本国民が目覚めなければ、日本は安倍の妄想とともに永遠の未成年の孤立状態に閉じ込められるしかない」と、何の自覚症状もないまま安倍政治の暴走を許してしまって「太平の眠りをむさぼっている」私たち日本国民にこそ、現代日本政治の真の病根があることを剔抉していることです。
 また、今回の日韓紛争に立ち上がりつつある韓国国民について、「韓国国民の安倍反対闘争が持つ超国家的意義がここにある。一斉不買運動を軸とした韓国の反安倍闘争が日本国民の覚醒を促し、韓日の市民社会の共闘に上昇すれば、この闘争は東アジアに新しい平和秩序を創出する原点になれるだろう」と、その「超国家的意義」を見いだしている点も実に慧眼の至りというべきです。
 実は、私も9月に韓国で行われるある会合でお話しすることになっています。20分程度の短い時間なので、読み上げ原稿を用意したのですが、その中で私が強調したいことはコ・ミョンソプ氏とほぼ軌を一にしています。以下に、コ・ミョンソプ氏コラムと拙文を紹介するゆえんです

 

 

 

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